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最後の”新日鉄釜石戦士”三浦健博 振り返る震災の記憶「やっぱり自分たちはラグビーをやるしかない」

”釜石一筋”の三浦が感じる「シーウェイブスは特別なチーム」

三浦は翌12年のシーズン終了をもって現役を引退。”最後の新日鉄釜石”戦士がジャージを脱いだ。その後14年から3年間はヘッドコーチ(HC)として指揮をとり、初年度にはトップリーグの入れ替え戦まで進出した。

退任後もチームに残り、現在もアドバイザーとして選手・HCの経験を活かし選手や首脳陣に向けて助言を行っている。

10年経つ中で釜石市も復興に向けて着々と歩みを進めてきた。建物や景観も復旧し、18年には「釜石鵜住居復興スタジアム」がオープン。

シーウェイブス一筋でプレーし、誰よりも特別を知っている(本人提供)

19年に行われたラグビーW杯の会場となり、地元応援団の代名詞である大漁旗がスタンドで風を斬った。

釜石市は「鉄と魚とラグビーの街」と呼ばれるほどラグビー熱が特に高い地域として知られている。地域の文化の1つとしてシーウェイブスもその象徴として根付いている。

三浦も地元岩手県出身で、釜石工業高校から入団し企業チームからクラブチーム化という大きな出来事を経て”釜石一筋”でキャリアを積み重ねてきた。だからこそシーウェイブスは特別なチームと感じている。

今後、新たに入団する選手たちへ持ち続けてほしい想いを語ってくれた。

「我々はクラブチームなので、スポンサー様や地域の方々からお金をいただいてやらせてもらっています。そこを理解をして、スポーツマンとして人間性を磨いていくことが大事です。我々の生活というのは一般市民の方々から支援いただいて成り立っている。そう思って今後もプレーしてもらいたいです」

三浦は来シーズンもアドバイザーとしてチームに残留することが決まった。

シーウェイブスは来年から新リーグ「JAPAN RUGBY LEAGUE ONE」のDIVISION2(2部)に所属することになった。1部昇格を目標に、三浦もチームの支援をこれからも続けていく。

つづく

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