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最後の”新日鉄釜石戦士”三浦健博 振り返るラグビー生活とシーウェイブスの魅力「純粋にラグビーをやっている。それは昔から変わらない」

かつてラグビー界で日本選手権7連覇という偉業を達成し、無類の強さから”北の鉄人”と呼ばれた新日鉄釜石ラグビー部。

2001年からは「釜石シーウェイブス」とクラブチーム化となり、さらには2011年の東日本大震災も乗り越え、激動の時を過ごしてきた。

震災から10年の節目を迎えた今年、当時を知る選手たちに振り返っていただいた。

今回は最後の新日鉄釜石戦士である三浦健博氏に、前編の震災当時に続きこれまでのキャリアについてお話を伺った。

(取材 / 文:白石怜平)

同期は全員花園に出場、反骨心からのスタート

三浦は岩手県大槌町出身。釜石工業高校から1995年、当時の新日鉄釜石ラグビー部に入部した。01年のクラブチーム化や11年の東日本大震災など激動の時期を経て12年に現役引退。

14年から3年間はヘッドコーチ(HC)として指揮を執り、現在はアドバイザーとしてチームに在籍している。

岩手出身で釜石の高校から入団し、さらにシーウェイブス一筋の生粋の”フランチャイズプレイヤー”である。

高校3年時、進路決めの際には複数チームから誘いがあり悩んだという。周囲の勧めもあり、返答期限の前日に入部の返事を行ったという。

入部当時の心境をこう振り返った。

「同期は5人いたのですが、私以外は名門高出身だったんです。自分は地元の釜石工業で決して強豪校ではなかったので、とにかく同期には負けたくない気持ちが強かったです。せっかく地元のチームに入って戦力になれないで終わるのだけは嫌だったので」

三浦以外の同期はみな花園の地を踏んでいる選手たち。三浦のプロ生活は反骨心からスタートした。

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