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リコーブラックラムズ東京 松橋周平 3度の危機からのカムバックと目指し続ける選手像「多くの方に良い影響を与える人間になりたい」

リコーブラックラムズ東京でプレーする松橋周平選手。

1年目に新人賞そしてベストフィフティーンを受賞し、日本代表にも選出された。その後何度も選手生命の危機にぶつかるも、不屈の魂で復活を果たしてきた。

この復活の過程そして、これからのラグビー人生に向けた想いを語った。

>前編はこちら

(取材協力 / 表紙写真提供:リコーブラックラムズ東京 、文:白石怜平 ※以降、敬称略)

日本代表での試合中、選手生命を脅かす大怪我に

2年目の17年、1月に前のシーズンを終えると3月から日本代表そしてサンウルブズの一員として国内外を戦い続けていた。8月の2017-18シーズン開幕後もレギュラーとしてチームの主力を担っていた。

この年のウインドウマンス期間中も、日本代表に選ばれ10月28日に世界選抜戦に臨んだ。ここで、一度歯車が狂ってしまう大きなアクシデントに見舞われた。

フランカーとして後半から途中出場した松橋は、ブレイクダウンの中でボールを奪い合っている際に、相手からのカウンターが自身の膝に乗ってしまった。

痛みを感じながらもプレーは最後まで続行できたが、その後腫れと歩くのもままならない状態になった。

「ちょっと待ってくれよと思いながら…MRI撮っていた時も『頼む頼む頼む…』と祈っていました」

しかし、残酷にもその診断結果は「右膝前十字断裂」

前十字靭帯の再建には手術に加え、長期のリハビリを要するため競技復帰までは半年以上はかかる大怪我。残りシーズンの復帰も絶望となり、チームそして日本代表からも離脱することとなってしまった。

プロに入って最初の大怪我をした当時を振り返る

1年目から順調に突き進んで来たラグビー生活、約2年後に控えていた日本でのW杯の代表入りも当然ながら目標にしていた。暗雲が立ち込めてしまい、不安にも苛まれた。

「(大学時代に左膝でも経験して)リハビリが長いのも知ってるので、またやるのかよと…あとW杯のことが一番強かったです。

大会から2年を切っていたので、ここから代表としてもっとアピールしていきたいという中で、大丈夫かなというのはありました」

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