千葉ドリームスター 「第23回全日本身体障害者野球選手権大会」初出場。発足10年で手にした夢舞台の記録(後編)

11月、兵庫県豊岡市で「第23回全日本身体障害者野球選手権大会」が開催された。

関東甲信越代表の「千葉ドリームスター」は、発足から10年の節目で初出場。今回はコロナ禍でも活動を継続しながら、関東甲信越代表として臨んだこれまでの軌跡を追う。(前編はこちら

秋の選手権大会、初戦は波乱の展開に

コロナ禍でも活動を続け、9月に関東甲信越大会で優勝。目標の1つだった秋の選手権大会に進出した。

秋の選手権は、毎年8月〜9月にかけて行われる全国7ブロック(※)の地区大会で優勝したチームのみが参加権を得ることができる特別な大会。

(※九州・中国四国・西近畿・東近畿・中部東海・関東甲信越・北海道東北の7ブロック)

主催するNPO法人 日本身体障害者野球連盟(以下、連盟)には29都道府県・37チームが加盟しており、その頂点を決める大会である。

身体障害者野球の頂点を決める秋の選手権大会

連盟主催の全国大会では、毎年5月にほっともっとフィールド神戸などで行われる「全国身体障害者野球大会(通称:春の選抜)」があり、ドリームスターも過去4度出場しているが、秋の選手権は今回初。

開会式では、この大会でチームの主将を務めた土屋来夢が全選手を代表して選手宣誓を行った。

「全国大会という最高の舞台で野球ができることに感謝し、最後の1球まで諦めない全力プレーをすることを誓います」と力強い宣言で大会は幕を開けた。

選手宣誓を務めた土屋来夢

ドリームスターの初戦の相手は仙台福祉メイツ(北海道・東北代表)。

春の選抜でも過去に対戦がなく、今回初の顔合わせとなった。試合前、小笠原監督自らナインに「ドリームスターの野球は何か?」と問いかけた。

「それは”明るく楽しく”。それを忘れずにやっていこう」と投げかけ、この大会で主将を務めた土屋も円陣の真ん中に入り鼓舞した。

試合前の円陣で士気を高めた

そして11時40分にプレーボール。大会はトーナメント方式で試合時間は100分制。同点の場合はスタメン9人同士によるじゃんけんでタイブレークを行う。

ルールは身体障害者野球のルールにて実施。バント・盗塁・振り逃げは禁止。加えて、主に下肢障害の選手が打席に立つ際は、打者が打ったら代わりに走者として走る「打者代走制度」を用いる。

先発はエース・山岸英樹。17年から3年間、関東甲信越大会の決勝の先発を務めており、選手権大会の初戦先発という大役を担った。

山岸は小学校6年生のとき、てんかん手術の後遺症による左半身麻痺の障害がある。そから地道にリハビリを重ね、17年からドリームスターでプレー。

初戦先発の山岸英樹

今春からはパラ陸上(走幅跳・やり投)にも挑戦する競技の”二刀流”でもある。23年にパリで行われるパラリンピック出場を目標に、トレーニングを重ねている。

山岸は初回を無失点に抑え、上々の立ち上がりを見せる。試合はその後両軍、緊張からか重々しい空気が流れる中で2回裏に試合は思わぬ方向に。

2死1・3塁。9番の打席時に捕手からの牽制で3塁走者がその間ホームへ生還した。しかし、ドリームスターは遊撃がダイレクト捕球したため「ボールデッド」とアピール。仙台からはインプレーではないかと主張し試合は中断。

両チーム・審判団による協議で収まらず連盟も加わること約20分。走者が帰塁していなかったことから盗塁=ホームインは無効との判断となり再度2死1・3塁から再開し、山岸が後続を断ちしのいだ。

両チーム、審判、連盟の4者で協議。試合は約20分中断した

しかし、その後3回に先制を許してしまう。

時間も終盤に差し掛かる中、重い1点がのしかかり4回も両軍無得点で迎えた最終回。ドリームスターは5回表の攻撃に全てを懸ける。

1死後に1番の土屋が死球で出塁。ベンチからは同点を期待し、活気が戻っていく。続く三ゴロで一塁へと送球が放たれた瞬間、進塁した土屋が猛然と三塁へ滑り込む。

ただ、勝敗を決する場面で必ず何かが起こる。送球が逸れさらに跳ね返ったボールは三塁手のグラブへ一直線。

捕手へと送球され土屋と相対した。これで万事休すかと思われたが、ここから土屋は目の前に立ちはだかる捕手をかいくぐり頭から飛び込んだ。

左手で本塁に触れ、球審の両手が横に広がった。ベンチは総出でこの試合の主将を迎えた。そして裏を0点で抑えここで規定の100分に。1−1と同点のため規定によりジャンケンによるタイブレーク。

ここでも最後までもつれ4勝4敗で9人目に。しかし、最後に敗れてしまい野球では引き分けながらも初戦で涙を飲んだ。

ドリームスターは翌日の初戦、5位決定戦に回ることになった。

城の猛打と関東MVP篠原の好投で選手権初勝利

前日の敗戦が残る2日目。まだ緊張と悔しさから重い雰囲気がありながらも

「但馬に来たからには1勝して帰ろう!」

自然とナインの間で湧き出た合言葉を胸に、大会初勝利へと臨んだ。この日は第1試合、8:30プレーボール。前日同様に100分制で行われた。

対戦相手は龍野アルカディア(東近畿:以下、龍野)。ドリームスターは毎年静岡で開催される大会「ドリームカップ」で過去2度戦っておりいずれも敗れている。

今回3度目の正直で龍野、そして選手権初勝利を目指す。この試合、並々ならぬ想いで臨む男がいた。

投打でチームの主軸を担う城武尊(たける)。

大舞台での経験豊富な城

広島県出身の24歳は、両腕に1本ずつある橈(とう)骨が生まれつき左腕だけなく、左手の親指と人差し指がない障害があり、主に右手でプレーしている。

小・中学と健常者チームに在籍し、高校では身体障害者野球チーム「広島アローズ」に入団。同時にバドミントン部にも所属し、呉市の大会で準優勝を飾る。広島国際大学時代も軟式野球部でも主将を務めるなど高いレベルのプレーを続けてきた。

また、もうひとつのWBC”と呼ばれる世界身体障害者野球大会の日本代表にも選ばれており、身体障害者野球を代表する選手の1人である。

アローズ時代に何度もこの地を訪れていた若武者は、初戦の後も前回覇者の岡山桃太郎や今年の選抜大会覇者である名古屋ビクトリーの試合を最後までスタンドから視線を送っていた。

「自分たちも今グラウンドにいないといけなかった。スタンドで観てるのが悔しい」と自らを奮い立たせていた。

この日も「このまま負けられない」と前日2安打の勢いそのままにバットを振り抜いた。力強い打球はレフトへのタイムリー二塁打となり先制点をもたらした。

関東に続く先発となった篠原も好調を維持。ストライクゾーンに吸い込まれるような投球で相手打者を翻弄。公式戦や健常者との試合で結果を残し続けた左腕は、この日も期待に違わぬ投球でスコアボードに0を刻み続けた。

関東甲信越大会以降も好調を維持した篠原

当初の予定は2イニングだったが、小笠原監督もリズムの良さから予定を変更しさらに1イニングを託した。その1イニングも難なく抑え、3回無失点と試合をつくりバトンを繋いだ。

3回表には前日先発し、この日も5番に入った山岸のタイムリーなどで1点を追加。2−0とリードを広げる。

その裏に追いつかれ、また重苦しい雰囲気が流れかける中、ベンチでもグラウンドでも率先して声を出す城がさらに発奮させる。

カウント2-1からの4球目、打球は軽々と右中間を抜けていき快足もあり悠々ホームイン。ランニング本塁打で2点を勝ち越した。後続もつなぎ4点リードで迎えた最終回。

1点を失ったところで小笠原監督は城への継投を決断。前日もリリーフで1イニングを投げ連投となったが、この日も打者2人を抑えたところで試合時間の100分に。

6-3でドリームスターが勝利、龍野戦も3試合目にして初勝利そして選手権も初勝利と一矢報いた。1勝1敗で最終順位は5位で確定した。

10年の節目で初の参戦となった選手権。選手・スタッフはみな「悔しい」という語り但馬を後にした。

来年もこの地に戻る決意を固め、千葉に戻った

小笠原監督も試合後、

「初めての球場、初めての対戦相手に空回りしてチカラを出し切れなかったのは残念でした。次こそ!があるように、まずは関東を勝ちきるチカラを付けていきたいですね」と想いを口にした。

ドリームスターは翌々週から活動を再開。第2回小笠原ミニ大杯を開催するとともに、この秋からは県内の女子野球チームとも交流試合を行うなど精力的に動いている。

コロナ禍になる前は、毎年地元市川市の小学校に訪れ体験授業を行っていたが今月に再開する。千葉県唯一の身体障害者野球チームとして、県内そして全国へとこれからも発信していく。

(おわり)

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