身体障がい者野球チーム「千葉ドリームスター」の成り立ち(前編)

現在日本では身体障がい者野球の競技人口が900人を超え、「日本身体障害者野球連盟」には全国37チームが加盟している。その中で、千葉県市川市を拠点とする「千葉ドリームスター」にフォーカスを当て、2回に分けてお送りする。

千葉県唯一の身体障がい者野球チームである千葉ドリームスターは、来シーズンより北海道日本ハムファイターズのヘッド兼打撃コーチに就任する小笠原道大氏の声掛けにより2009年に誕生した。

当初は街でチラシを配るなど地道に活動を続け、2020年で発足から10年を迎えた。

発足の経緯から現在の活動・今後の目標について、チームの代表を務める笹川秀一氏にお話を伺った。

小笠原道大氏の働きかけを機にチームが誕生

―千葉ドリームスター設立の経緯を教えてください。

笹川 千葉県出身で市川市在住の小笠原道大さんが、2008年オフに当時在籍していた読売巨人軍の企画で身体障がい者野球チーム「神戸コスモス」の練習場所を訪ねました。


神戸から戻った後に「千葉県に身体障がい者の野球チームはあるのか」という話になり調べたところ、千葉県にはないことが分かりました。2007年から市川市の活動の一環で、少年野球大会「小笠原道大杯」を開催していましたので、それなら少年野球と身体障がい者野球の2本立てでやってみようと。それで立ち上げが決まりました。

―立ち上げが決まってから、どのような活動をされていましたか?

笹川 2009年に正式に発足した後は街でチラシを配ったり、ジェイコム市川(現:J:COM 市川・浦安)さんに協力をお願いして選手を募集していました。 それと並行して、私は身体障がい者野球の全国大会視察に行きました。
2010年は選抜大会と関東大会、あと世界大会が11月に日本で行われたので現地まで行き、そこで関係者に話を聞いていきました。

当時街で配布していたチラシ。スタッフ自ら街に出向いた。

―募集を始めてから、選手はどのようにして集まってきたのですか?

笹川 最初はなかなか集まらず苦労したのですが、2011年にジェイコムニュースを見た読売新聞さんが紙面に掲載してくれたのをきっかけに、応募者が徐々に増えてきました。
今主将を務める中䑓陵大選手や、設立当初から主将を務めていた土屋大輔選手などは紙面を見て応募してくれた選手です。

2011年2月25日の読売新聞記事。この紙面をきっかけに選手が集まってきた。

連盟登録まで5年、地道な活動を継続

ー集まった当初はどんな練習をしていたのですか?

笹川 インターネットで選手募集の記事を見てくれた同じ障がい者野球チーム「東京ブルーサンダース」の方々が「千葉でチームを立ち上げるのなら私達も手伝いましょう」と初練習に駆けつけてくれました。
野球未経験の方も多くいましたので、キャッチボールやゴロ捕球といった投げ方・捕り方・打ち方など、障がい者野球を一から指導していただきました。そこから、日本障害者野球連盟への登録を目指して地道に練習を続けました。

―連盟に加盟したのはいつですか?

笹川 連盟に登録する条件として選手が最低12人必要なのですが、それが集まったのが2014年。2011年にチームとして本格的に動き始めてから3年、発足から5年かかりました。今はもう足掛け10年ぐらいになりましたね。

―2010年には大会視察に行ったとのことですが、そこではどんなお話が聞けましたか?

笹川 あるチームの代表の方が「形になるには5年くらいかかる」と仰っていました。別の方からは「地元で大会の開催ができるまで粘れ」と。地元で開催ができれば一気に選手が増えるからということで粘り強く活動は続けていました。

それで2015年頃ですかね、選手がどんどん増えてきました。2017年には1日3試合戦える人数が集まり、念願の地元開催が実現しました。そこで初めて決勝戦に進めたので何とか軌道に乗ってきたかなと。もう地道ですよ本当に。監督・コーチ、スタッフなどたくさんの方の協力があって。

2017年には地元で初めて公式戦を開催し、大会準優勝を成し遂げた。

監督やコーチも熱心に声掛け

―監督やコーチはどうやって集めたのですか?

笹川 監督は、連盟登録前の2013年からなんとか1人ほしいと思っていたので、力を入れて誘いました。コーチは現在2名、二人とも息子が障がいを持っている学生の父親です。

―選手だけではなく監督・コーチも誘っていたんですね。

笹川 選手兼監督は難しいというのを他のチームからも聞いていましたので監督専任としてオファーしました。たまたま名字が「小笠原」監督なんですけれども(笑)

その後に土屋来夢選手の父である土屋純一コーチも入ってくれて、練習メニューを立てたり、練習試合を組んでくれています。
そしてもう1人の船山豊和コーチも普段から大きな声で選手達を叱咤したり、時には相談役になっています。

試合で采配を振るう小笠原一彦監督

―選手やコーチの他にスタッフなどはいらっしゃいますか?

笹川 スタッフは、スコアラーとして入っていただいている富田寅蔵さんがいます。彼は内部障害(※)を持っていて、自身で連盟に問い合わせて登録できないことを確認したのですが、それでも何か手伝わせてほしいということでチームに入団してくれました。

それだったら何かお願いしようと考えていたら、彼から「スコアを書きます」と言ってくれました。来た試合は必ずスコアを記録してくれています。監督やコーチとも密に連絡を取り合っていて、「この選手を出したほうがいい」と助言もしてくれています。

あとは、ご縁があって今年5月からGM補佐として就任しましたモノマネ芸人の小笠原ミニ大さん。練習に来た時に補佐が発信するSNSは注目度が高いです。

(※)内部障害とは、心臓、呼吸、消化など内部機能に関する障害のこと。障害者野球の選手登録は現状できないルールになっている。

チームの役割を明確に

―代表についてお伺いします。チームの代表というのはどんな役割ですか?

笹川 窓口に立って他のチームや外部の方とのやりとりをします。
チームの中をまとめるのは監督・コーチ、グラウンドではキャプテンと極力分担させています。

―チームの役割を明確にさせていますね。

笹川 1人が全部やってしまうと、その人が崩れた場合チーム全体が崩れてしまうので極力1人で抱えないようにしています。
グラウンドを確保するのも関係者の地元でいいので、そこを強化していきたいですね。

外部とのやりとりの他に練習でもノックを打つなどサポートをしている

身体障がいの重い選手を置き去りにはしない

―選手資格はあるのですか?

笹川 身体障がい者手帳を所持する‘肢体’不自由の選手と、療育手帳を所持する選手はチームで3名まで登録可能です。
富田スコアラーのように身体障がい者でも、内部障がい者は選手登録出来ません。あと視覚・聴覚・言語障がい者も。

―千葉ドリームスターに療育手帳所持者の選手は在籍しているのですか?

笹川 現在は身体障がい者のみです。何人か練習に参加したことはあるのですが、定着しませんね。今のところ療育手帳所持者の募集を強化することもないです。
療育(手帳所持者)の選手はルール上3名までは試合に出場することを認められていますが、普通に動ける療育の選手を試合に出して、障がいが重い身体(障がい者)の選手を試合に出さないというのは違うかなと。

登録人数が現在23名。身体障がい者の選手が9名を割らない限り、身体の選手でやっていこうと思っています。
完全に個人的な考えになりますが、障がいの重い彼らを置き去りにするつもりはありません。

後編へ続く

(取材 / 文:白石怜平)

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