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釜石シーウェイブス 佐伯悠 震災から再度動いた時計の針。最も忘れない「人生で1番ラグビーが楽しかった日」

かつてラグビー界で日本選手権7連覇という偉業を達成し、無類の強さから”北の鉄人”と呼ばれた新日鉄釜石ラグビー部。

2001年からは「釜石シーウェイブス」というクラブチームとなり、さらには2011年の東日本大震災も乗り越え、激動の時を過ごしてきた。

震災から10年の節目を迎えた今年、当時を知る選手たちに振り返っていただいた。

今回は当時の主将である佐伯悠氏に、震災当時からシーズンに至るまでを伺った。(以降、敬称略)

震災当日、津波を目の当たりに

2011年3月11日、宮城県牡鹿半島沖を震源とする大地震が岩手県釜石市を襲った。佐伯は当時のリアルな惨状を語った。

「確か金曜日だったと思うのですが、勤務中でした。当時私は勤務地が釜石の海近くの工場だったんですね。まずは揺れが強すぎて『倒壊してしまう』と感じたのが第一印象でした。外に避難して同僚たちと高台に逃げるために、避難場所へと向かいました」

釜石市は県庁所在地である盛岡市から車で約2時間ほどの距離に位置する。陸前高田市や宮城県気仙沼市同様、沿岸部にあるため大津波の被害を受けた。津波が来た時のことも合わせて話してくれた。

「そこで高台に上がるあたりで『津波が来たぞ』という声を聞いて急いで上に登りました。海が広がってくるといいますか、街が飲み込まれていく様を高台から見ていました」

震災当時を振り返る佐伯

実際に目の当たりにしても現実とは思えない、まるで映画を見ているような感覚だった。またこの時、佐伯は命拾いをしていた。高台に逃げる直前のやりとりを明かしてくれた。

「実は、あの時(地震発生時)携帯の充電がなかったんです。車に充電器があるので『一度車をとってきます』と会社に向かいました。途中消防署があるんですけども、そこで止められたんですよ。『ここから先は大津波警報が出てるからダメだ』と。

僕は充電が数%しかないんですと言ったら『警報が解除されないとダメだ』と。それで仕方ないと思って高台に向かったのですが、着いた瞬間に津波が来たので、あの時止めてくれなかったら僕は津波に巻き込まれていたと思います。止めてくれた方に生かさせてもらっていると今でも感謝しきれないです」

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