• HOME
  • 記事一覧
  • ラグビー
  • 最後の”新日鉄釜石戦士”三浦健博 振り返る震災の記憶「やっぱり自分たちはラグビーをやるしかない」

最後の”新日鉄釜石戦士”三浦健博 振り返る震災の記憶「やっぱり自分たちはラグビーをやるしかない」

街の灯が照らした想い「自分たちの本業はラグビー」

三浦はクラブハウスで避難した選手たちと合流し、自身たちでできることから始めた。震災当時、釜石の気温は約5度台と寒さの強い時期でもある。停電で暖房も入れられない状況だった。

幸い水道は通っていたため、クラブハウスにあるバーベキュー台を活用し、周辺の山へ行き倒木を集めるなどして火を起こした。

そこでお湯を沸かし、近隣住民や近くにある日本製鉄の社宅に配って回った。

避難所にいる方たちに向けてクラブハウスも開放した。チームバスで案内し入浴施設の提供や、その間にみんなでカレーを作って食料も分け合った。

釜石シーウェイブス 三浦健博氏(本人提供)

子どもたちにはラグビー教室を開催するなど、地域の方々が少しでも笑顔になれるようチーム全員が知恵を出した。

支援の輪は国境も越えた。フランスラグビー協会から防寒着がホッカイロが贈られ、集配所で地域の方達一人一人手渡した。

そんな慌ただしい日々が1ヶ月以上続く中、三浦や選手たちの中で想いが徐々蘇っていく。

「やっぱり自分たちはラグビーをやるしかないんじゃないか」

三浦は当時の心境を語った。

「なんて言えばいいんですかね、震災直後はガソリンスタンドが2時間待ちなどで戦場みたいで、みんなが下を向いている感じでした。

自分たちの住んでいる近くにスーパーマーケットがあるんですよ。震災後1ヵ月ほどして再開したのですが、すごく華やかというか活気が戻った光景に見えたんですね。その時に『自分たちの本業はラグビーだよな』と。

ラグビーを再開して、復興への第一歩じゃないですけれども、自分たちがラグビーをやって元気取り戻してほしいなという想いが沸いてきました」

関連記事一覧