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「自分の思う球が投げられなくなって…」石井丈裕 故障との闘いと台湾で打ち上げた最後の花火

「幸せな野球人生ですよ」山あり谷ありの現役生活

石井の野球人生、高校時代から苦労を長く重ねていた。早実時代は荒木大輔の控え投手。不完全燃焼から、「まだ勝負したい」という想いで大学に進学。ここでもリーグ戦初登板が大学3年時と長い下積み生活を経験した。

大学4年に頭角を表し日本代表に選ばれると、社会人の名門・プリンスホテルに入社し、ソウル五輪でも主戦を張った。そして常勝西武でシーズンと日本シリーズの両方でMVP、正力賞とプロ野球界最高の栄誉も手にした。

自身の現役生活をこう振り返った。

「苦しいところから陽の当たるところまで行かせてもらいました。そのおかげで今でも子どもたちに教えることができる。そういった場を持つことができて幸せな野球人生ですよ」

今はアカデミーコーチとして子どもたちを指導している

引退後は太陽の監督に即就任、韓国ロッテのコーチを経て04年には西武の投手コーチとして7年ぶりに復帰。この年は荒木もコーチに就任し、プロでも同じユニフォームを着た。

その後は編成と現場双方を経験し、12年には当時新たに発足したライオンズアカデミーのコーチに就任。14年に1軍投手コーチを務めた以外は現在も未来を担う子どもたちの指導を行っている。

石井の現在のステージはそのアカデミーで輝きを放っている。

最終回へつづく

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