「自分の思う球が投げられなくなって…」石井丈裕 故障との闘いと台湾で打ち上げた最後の花火
西武での晩年、膝を故障し選手生命に影響
石井はその後も先発・リリーフでフル回転を続ける。94年は先発から途中リリーフに回り、9月には月間MVPを獲得するなどリーグ5連覇に貢献した。
この年まで続いた森祗晶監督時代の第2次黄金期。石井は記録にも記憶にも確かにその歴史を刻み、”主役”の1人として今もその名は語り継がれている。
東尾修監督のもと新体制となった95年、石井は先発へと復帰。4月には月間MVPを獲得するなど好調なスタートを切った。
途中怪我による離脱もあったが安定した投球を見せ、10勝6敗、防御率2.73の成績で2年ぶりの二桁勝利をマークした。
しかし翌96年、以降の選手生活を左右する出来事が起きてしまう。石井本人も「選手生命が短くなりました」と語るほどだった。
「右膝を怪我してしまい、半月板の手術をしたんですよ。以降は投げるときに、右足に体重がかかりますよね?そうなると力が抜けてしまうんですよ。そこから制御できなくなって、自分の思う球が投げられなくなってしまいましたね」
この年は5試合の登板に終わりプロ初の未勝利に。それでも翌97年はキャリア2番目に多い30試合登板を果たし、4勝を挙げた。3年ぶりのリーグ制覇に貢献し、三たびヤクルトとの日本シリーズでも第3戦に先発した。
しかし、これが西武での最後のマウンドとなった。10月29日に奈良原浩と共に、西崎幸広との2対1のトレードとなり、日本ハムへと移籍することになった。
次ページ:「結果を出したくて焦った」日本ハム時代