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元西武・高木大成 「感慨深かったです」新生メットライフドームで実現した理想の形 〜著書出版記念特別インタビュー第5回〜

かつて西武ライオンズで「レオのプリンス」と呼ばれ、主力打者として優勝にも貢献した高木大成氏。(※「高」はハシゴ高)

05年に引退後、現在に至るまで同球団の社員としてライオンズを支えている。21年4月にその半生を綴った著書「プロ野球チームの社員(ワニブックス刊)」を出版した。今回、これを記念したロングインタビューを全6回に分けてお送りする。

第5回はプリンスホテルからの球団復帰。今年3月にグランドオープンしたメットライフドームの改修計画にも参画し、感慨深い想いが溢れた。

第4回:野球界から離れホテルマンでの奮闘の日々はこちら

(取材協力 / 写真提供:株式会社西武ライオンズ、文:白石怜平 ※以降敬称略)

17年4月、再度出向でライオンズへ復帰

2017年4月、高木は再度出向という形でライオンズへ帰ってきた。約5年半ぶりに戻り、その変化に驚いたという。

「最初に従業員の数の多さに驚きました。私が離れた時より何倍にも増えていましたから。あと事業のスピード感がすごいなと。この頃にはある程度ライオンズ単体としての収支が強固になっていたので、球団として成熟し始めている頃でした」

復帰後はメディアライツ、いわゆる試合中継の映像を制作し各メディアへ放映権の販売及び選手や球団の肖像権を扱う担当に配属された。現在も同担当として勤務している。

17年に復帰し、現在に至る

この年の大きな動きは「西武ライオンズ 40周年記念事業」の発表である。

「ボールパーク化」「チーム育成/強化」の2つを軸に、メットライフドーム周辺エリア全体の改修を同年12月〜今年3月までの3年強、総額約180億円という過去最大規模で行った。

関連コラム:「西武ライオンズ 40周年記念事業」について

07年〜08年に続き、今回も球場の大改修に携わることになった。ここでは中継カメラの設置場所や伝送機器の設置場所を移設するのが最も大きな仕事だった。

「テレビ局の伝送ラックを置いている部屋があり、その移設を行いました。中継のカメラ位置が1つ変わると光ケーブル敷設位置を変えなければなりません。今後の需要も考慮し増築するなどの作業が発生しました。

それをどこにどれだけ作るか、もはや理系の話です(笑)。技術的な知識を習得するところから始まりました。相手は専門家で、そういう方達と話さなければならないので、専門用語を理解する点が大変でしたね」

「感慨深い」15年越しに実現したスタンドとビルの一体化

今年の3月に晴れてグランドオープンを迎え、今や”ボールパーク”として様々な年齢層が楽しめる場所へと進化した。

高木の地元は東京都八王子市、両親は福岡県出身で前身の西鉄ライオンズ時代からファンであることから、少年時代は何度も西武ライオンズ球場(当時)へ足を運んでいた。

大学卒業後はドラフト1位で念願のライオンズに入団し、選手としてこのグラウンドでプレー。引退後は毎日通う職場になった。それだけに思い入れは誰にも負けないものがある。

「本当に感慨深かったです。私が引退して球団の社員になったとき、昔のオフィスや中華料理屋さんがあった旧獅子ビルと球場は地下の階段でしか繋がっていなかったんですよ。その当時を考えればすごいなと。『獅子ビルとスタンドを繋げたいよね』とずっと話していたんですよ。それが今回DAZNデッキでついに実現したので」

念願の獅子ビルとスタンドが1つになった”DAZNデッキ”(筆者撮影)

少年時代から約40年球場に通い続け、時代とともに変わっていく様子を肌で感じてきた。特に今回のメットライフドーム改修計画では、球団そして西武グループ全体での力の入れ具合に心が響いた。高木はこう続けた。

「アメリカなどに視察へ行き、この球場の設計に合うものは何かをリサーチしていました。ボールパーク推進部が中心に動いていただいて、これまでのプラスアルファでライオンズにしかないものを創り上げていったことが何より素晴らしいなと思いましたね」

関連コラム:西武・後藤オーナー「所沢のまちづくりにも貢献していきたい」

「ネット裏に行きたいと思える」球団の工夫と努力の賜物

ーライオンズにしかないものー

それは”自然共生型”である。本球場は、98年から99年にかけて現在のドームが完成。このコンセプトは当時から続くもので、自然の環境を感じながら観戦ができる。自前の土地という利点も活かし、ドームの外周部分を有効活用することで”ボールパーク化”を実現することができた。

メットライフドームエリアの象徴とも言える”自然共生型”。ライオンズにしかできないコンセプトである(球団提供)

また、08年オフに実施した内野席のバリューアップを今回の改修でもさらに強化した。同年までは「どこでも観やすいから安い席でいい」となり、高い席が売れないという仮説が立てられていた。

メットライフドームは動線が統一されており、電車や車・バスいずれの場合でも西武球場前駅の方面から入り口へ向かう。

入場口はセンターのバックスクリーン真後ろに位置しており、内野席の場合は入るとレフト・ライトをそれぞれ経由していく。球場はすり鉢状になっているためグラウンドレベルの席に行くためには、階段を降りていく必要がある。

つまり、「料金の最も安い外野席が入り口から最も近く、料金が高いネット裏の席が最も遠い」ことになる。

また、「どの席でも観やすい」のがメットライフドームの特徴。周囲は豊かな自然に囲まれ、広大な土地を活用して建設されたため、なだらかな構造となっているのが理由である。

なだらかな構造で「どこでも観やすい」のが特徴(筆者撮影)

少年時代の高木も「外野席も近くて見やすかったですし、まだ芝生席で子どもの頃に父と寝転がって観戦していたのですが、それが楽しい思い出になっています。花火も上がりましたし」と語るほどだ。

ネット裏方面の販売を強化するため、08年オフにバックネット裏エリアに飲食店やトイレを新設。特別感のあるグループ席「ダグアウトテラス」を導入した。

さらに、40周年記念事業では「ネット裏カウンターシート」や「ネット裏パーティーテラス」などプレミアム感のある席を多く新設。最大の目玉はバックネット裏地下部分を改装した「アメリカン・エキスプレス プレミアム™ラウンジ」である。

アメリカン・エキスプレス プレミアム™ ラウンジ」に飾られているチャンピオンフラッグ(球団提供)

現在も新型コロナウイルス感染拡大の影響で入場数に制限はあるものの、ネット裏のチケットは常に争奪戦となっている。

「今では1番値段の高いバックネット裏までお客さまが普通に来るようになっていますよね。この工夫を凝らしたことはすごいの一言です。多少遠くてもネット裏に行きたいと思える。今回の改修の目玉でした」

ラウンジの中には日本一のチャンピオンフラッグ、優勝トロフィーなどが多く飾られている。仕事柄、テレビ局やメディアの方と関わることも多く、中へ案内することがある。来た方々は皆足を止めて見入っているという。

「あれはずっと見ていたいですよね、チャンピオンフラッグ。でももっと語れるものはたくさんありますから、今後もどんどん増えていくと思いますよ」と胸を張った。

最終回へつづく

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