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「自分の思う球が投げられなくなって…」石井丈裕 故障との闘いと台湾で打ち上げた最後の花火

「結果を出したくて焦った」日本ハム時代

新天地でかつての輝きを取り戻そうと、練習に励んでいた。ただ、結果が出ずもがく日々が続いた。

「1つ言えるのは結果を出したくて焦っていたというのがありました。前の年97年は怪我から復帰して、投げながら形ができてきてファイターズに行きました。ファイターズも自分を大切にしてくれたので、どうしても成績を出したい、その気持ちが強すぎました」

焦りが焦りを呼んでしまう悪循環。気持ちが強すぎた上に起こってしまったことをこう続けた。

「本来は、ベテランの年齢になってきたらある程度力を抜いたり、駆け引きを使わないといけないのですが、とにかく結果が欲しくて100%の力で行き過ぎてしまったんですね。

するとどうなるかというと打者としては打ち頃なんです。遊びがないと言いますか、予想できる球しか来ないので。今振り返ると失敗したと後悔しています」

日本ハムでの2年間は、計47試合に登板したものの防御率はいずれも5点台から6点台と本来のパフォーマンスを取り戻せないまま退団となってしまった。

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