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「1軍に残れるかビクビクしていた」石井丈裕 黄金時代の西武入団から後に打ち上がる”大きな花火”の前夜まで

西武ライオンズ黄金時代に主力投手として活躍し、現在はライオンズアカデミーのコーチを務める石井丈裕氏。

92年には15勝・防御率1.94の成績で沢村賞、そしてシーズンと日本シリーズの両方でMVPを獲得。正力松太郎賞も受賞した名投手である。

大学3年生までの下積みで徐々に実力をつけ、社会人ではソウル五輪の主戦投手として銀メダル獲得に貢献した。

今回は、プロ入りから更なる飛躍の直前までをお送りする。

第2回:大学時代の逆境から掴んだソウル五輪のマウンド編はこちら

(取材協力:西武ライオンズ、文:白石怜平、以降敬称略)

88年ドラフトで黄金期の西武ライオンズへ入団

石井は社会人そして五輪での活躍を評価され、88年ドラフトで西武から2位指名を受けた。ソウル五輪で共に戦い、1位指名を受けた渡辺智男とともにライオンズのユニフォームを着ることになった。

ここまで怪我などで満足にプレーできず下積み生活を送ってきた。”勝負したい”思いから野球を続け、長い年月をかけてその才能を開花させた。世界の舞台で躍動し、そして当時3年連続日本一に輝いていたチームからの指名。

石井が描いてきた”下克上ストーリー”の続編が始まろうとしていた。森祗晶監督率いる西武は”新・球界の盟主”などと呼ばれ、当時は黄金時代の真っ只中。

渡辺久信・工藤公康・郭泰源、この年で引退する東尾修ら球界を代表する投手陣に加え、野手でも石毛宏典・辻発彦・秋山幸二・清原和博など、隙のない打線と鉄壁の守りを誇り、名前を挙げたらキリがないほどのメンバーが揃っていた。(※”辻”は1点しんにょう)

「なので、指名いただいたからには戦力になるために1軍へ上がることで必死でしたね。こう言っては何ですが、他球団の選手を意識する前に自チームの投手を意識してやっていましたよね。今は投手の1軍登録枠は約13人ほどですが、当時11人とかですから」

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