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「自分の思う球が投げられなくなって…」石井丈裕 故障との闘いと台湾で打ち上げた最後の花火

「本当に楽しい野球をやれた」台湾での2年間

まだ現役への灯が消えていない石井は00年、海を渡り戦いの場を台湾へと移した。台北太陽(タイベイ タイヤン ※)に選手兼任コーチとして入団した。

(※)太陽と高屏雷公が合併し、第一金剛→La Newベアーズを経て現在は楽天モンキーズに

ここで、石井は大車輪の活躍を見せる。16勝5敗、防御率1.74の成績をマークし、チームのリーグ優勝に貢献。最多勝、最優秀防御率に加えシーズンMVPと92年を彷彿とさせる投球だった。

「台湾の野球はとても楽しめました。実は移動が大変なんですよ。台北から高屏までバスで行くので、試合が終わってから3時間〜4時間かけて帰ってくることもありました(笑)。でも、チームのみんなに良くしてもらって、本当に楽しい野球をやらせてもらえました」

台湾球界での経験も野球人生にとって大きなものになっている

しかし、プロ野球選手である以上必ず訪れる引退の時。石井にもついにこの時が来てしまった。翌01年は9勝を挙げるも、ここで現役生活にピリオドを打った。

「本心としてはまだ続けたかったです。ただ、私も年齢も年齢(当時37歳)でしたし、選手としての需要がありませんでした。なので、指導者として自分の経験を少しでも伝えることで、次の世代の選手のヒントになればいいなと考えました。選手の手助けができればという想いで(指導者のキャリアを)スタートしましたね」

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