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「あの試合が僕にとっての転機。本当に衝撃でした」三重ホンダヒート 近藤雅喜 二刀流への道が開いたトッププレイヤーの試合裁き(全5回 #3)

「子どもの頃にラグビーを始めた思いと同じだった」

そして、近藤がレフリーとの”二刀流”を挑戦しようと決めたきっかけが22年訪れたのだった。

それはリーグワン開幕元年の同年1月9日、ヨドコウ桜スタジアムで行われたレッドハリケーンズ大阪とリコーブラックラムズ東京との試合。

「あれはちょうど滑川さんがレフリーとしてのリーグワンデビュー戦だったんですね。あれはもう僕にとっては衝撃的でした。今でも見たくなってその映像を見る時があります」

その衝撃度がどのくらいあったのか。続いた言葉からすぐに理解することができた。

「今はレフリー100%の立場でその映像を見るのですが、あの試合が間違いなく僕にとっての転機となる試合でした。子どもの頃にラグビーを始めた時、ラグビースクールでプレーしていた当時『ラグビーやりたい!早く土日になってほしい!』といった思いのようでした。久しぶりにあの気持ちに駆られたんです」

純粋にラグビーな好きな想いをもう一度駆り立てられた(提供:三重ホンダヒート)

近藤がその試合を観たのは自宅のテレビを通じてだった。スタジアムではなく、映像からでも衝撃を感じたほどであったのだ。インタビューでも声のトーンが上がった様子がその度合いを物語っていた。

「テレビをつけてチャンネルを合わせたときに、『今日のレフリーは滑川さんです』と。それで試合が始まるとスムーズに進んでいくんです。すごいなと思って。トッププレイヤーがレフリーになって、リーグワンのDivision1の試合をいとも簡単に吹くのかと。多分僕だけではなく、他にもそう思った選手はたくさんいたはずです」

大きな衝撃と興奮が冷めぬうちに、チームに相談した。そこからは話はどんどん進んで行ったという。

「チームも『いいよ』と。僕もその道で行きたいと伝えました。もちろんまずは選手であるので、レフリーと両方で滑川さんが成功していったプランと同様にしていきたい。

セカンドキャリアの一つではなく、同時進行で選手でありながらレフリーをやったときの価値を求めていきたい考えをチームに伝えました」

そして、レフリーとしてピッチに立つための準備が始まっていった。

つづく

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