
リコーブラックラムズ東京 メイン平 ニュージーランドで再び築いた”ラグビーの基本” 20歳にして日本最高峰リーグのレギュラーに
現在リコーブラックラムズ東京でプレーするメイン平選手。
ラグビーの強豪であるニュージーランドで2年間過ごし、20歳でブラックラムズに入団した。1年目からレギュラーに定着すると、2年目のオフには日本代表にも選出される活躍を見せている。
しかし、順風満帆とはいかなかった。W杯を目指した23年に大怪我をして離脱すると、シーズン開幕前最後の練習試合で前十字靭帯を断裂。
約2年ものリハビリを経て、2024-25シーズンにはピッチへと帰ってきた。今回はメイン選手の闘いの軌跡を3編に分けて追っていく。
(取材 / 文:白石怜平 ※以降、敬称略)
18歳で父の故郷であるニュージーランドでの挑戦に
宮崎県出身のメインは、御所実業高校(奈良)を卒業後にニュージーランドへと渡った。18歳にして、”オールブラックス”に代表されるラグビー王国での挑戦。どんな想いで海を渡ったのか。
「僕の父がニュージーランド出身ということもあり、小さい時からニュージーランドのラグビーをずっと見てました。なので、いつかはニュージーランドでプレーしたい想いを持っていました。
高校卒業後に大学へ行くオプションもあったのですが、若い時にチャレンジしたいという気持ちから、思い切ってニュージーランドに行く決断をしました」
メインが入団したのはノースハーバーマリストというクラブチーム。父親の知り合いを通じて知り、アカデミー運営も行うなど環境面を考慮して入団を決めた。
世界的に見てもハイレベルなニュージーランドのラグビー。屈強な大人たちに混ざってプレーすることに最初は戸惑いもあったという。
「高校出たばかりで体も小さかったですし、現地の大人のラグビーに混ざるとフィジカルが全く違いました。すごく大きい・強いというのを肌で感じて、最初はすごく衝撃を受けました」

ただ、ニュージーランドでのプレーは「いかに基礎・基本が大事かというのを思い出させてくれた期間」だったという。立ち返った基本についてこのように振り返った。
「日本の高校でラグビーをしていた時はタックルに行っても止まりますし、ボールキャリーする時も片手でボールを持ってタックルに入ってもそのまま取られずに、マイボールのままプレイできることがありました。
ですが、ニュージーランドでプレーしていた時は片手で突っ込んでいったらすぐにボールを取られたり、タックルする時も相手は大きいので、相当低い体制から入らないと相手を止められない。
ラグビーの基本ができないと厳しいなと感じましたし、基本に忠実なプレーをしようと考えてからは、徐々に通用するようになってきました」
「いち早くプロに」その想いから日本のトップリーグへ
ニュージーランドでは2年間を過ごし、ラグビーでフィジカル・スキル共に向上させたメインは、20年にブラックラムズからオファーを受け帰国。
黒のジャージを着てプレーすることになった。母国日本でプレーすることになった理由を語った。
「現地ではアマチュアの方がコーチをされていたので、テクニックの部分などを聞くのに限界がありました。今後の成長を考えていち早くプロのチームに行きたいと考えた時に、ブラックラムズからオファーをいただきました」
最初は練習生としてスタートした日本でのキャリア。ただ、ニュージーランドで揉まれた経験はすぐに発揮された。
「ニュージーランドでベテランの選手たちと一緒にやっていたこともあって、この時は衝撃などは無くポジティブな状態で臨むことができました。
やはりプロの練習なので厳しい部分もありますが、時間とともに慣れることができましたし、フィジカルはニュージーランドで経験を積んでいたので、自信を持って入れました」

日本に戻る決め手となったテクニックの吸収においても、ブラックラムズの指導者から得るものは大きかったという。
「プロの舞台で選手として活躍されていた方たちが指導されているので、選手目線で考えてくれますし、スキルがある状態で指導してくださるので、自分にも影響はありました」
1年目からスタメン出場を重ね、バックス陣を引っ張る存在に
入団後最初のシーズンはトップリーグ最終年となった21年。早くも頭角を現す。
2月20日の開幕節、(現:埼玉)パナソニックワイルドナイツ戦で早速メンバー入りし、後半31分から出場し日本でのプロデビューを果たした。
「開幕戦はリザーブでした。しっかりアピールして臨んで、メンバーに入れた時はすごく嬉しかったです。両親にすぐ報告して東京に来て観てもらったのもあって、とても思い出に残る試合でした」
第2節のヤマハ発動機ジュビロ(現:静岡ブルーレヴズ)戦ではFBでスターティングメンバーに名を連ねた。
以降はCTBでスタメン出場を重ねるなど、シーズン全試合でメンバーに入った。
同級生は大学でプレーしている年代ながら、日本最高峰のリーグで早くもレギュラーとしての地位を確立した。その要因としては向上心と意識の高さにあった。
「当時はコーチから『2〜3年目くらいで出られるようになれればいいよ』と声をかけてもらってましたが、僕は1年目から勝負だと思っていました」

リーグワン初年度となった2022シーズンもCTBとFBに加えてWTBでも出場し、チームに欠かせない存在へと駆け上がった。
「2年目はFB以外のポジションも務めていて、前年の経験を踏まえてバックス陣を引っ張っていきたい想いが芽生えたシーズンでした。
ポジションが変わっても戸惑いはなくて、自分の強みにしてきたランであったりキックだったりが持ち味としてあったので、順応できました」
日本最高峰のリーグで、2年間レギュラーとしてフルで戦った21歳の若武者。その活躍はすぐ目に留まり、シーズンを終えると早くも待望のオファーが届くことになった。
(つづく)
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