「一緒のグラウンドにいることが不思議でした」三重ホンダヒート 近藤雅喜 決意から約半年で実現した憧れの先輩との”共演”と帰ってきたセブンズの舞台
ジャパンラグビー リーグワンの三重ホンダヒートでプレーし、レフリーとしても活躍している近藤雅喜選手。
レフリーへの挑戦を決意した近藤選手は猛勉強に励むとともに、ピッチで笛を吹く機会を増やしていった。
そして瞬く間にデビューを飾ると、自身にレフリーの道を示してくれたあの”先駆者”と早くも同じ場に立つことになった。
(取材協力:三重ホンダヒート 取材 / 文:白石怜平、以降敬称略)
「初めてとった反則も全部覚えています」デビューまでの約半年
22年1月9日、リーグワンの第1節(NTTドコモレッドハリケーンズ大阪-リコーブラックラムズ東京)で、当時トヨタヴェルブリッツの選手でもあった滑川剛人さんの試合裁きをテレビで見たことがきっかけでレフリーへの挑戦を決めた近藤。
選手と並行して行いたいことをチームに伝え、了承を得られたあとはすぐに準備へと進んだ。
近藤のポジションはロック(LO)とフランカー(FL)。ただ、レフリーとなると当然ながら試合の全てを見なければならない。本職ではないポジションについてもインプットするだけなく、さまざまなシチュエーションについても頭に入れる必要があった。
「自分の携わってないポジションのことも理解しながら、また現実では起こり得ないだろうという、試合で一度起こるか起こらないかのプレーも想定しないといけないです。
さらにそれも一つではなく何百通りと出てきます。なおかつルールは毎年アップデートされますので、競技規則をゼロから読み直しました。
初めて笛を吹いたのは高校生の試合。愛知県で行われた試合で、練習試合でした。最初に取った反則(ノットリリース ザ ボール)も含めて全部覚えています(笑)でもとにかく必死でしたね」
必死で前後半の計60分を走り抜き、終わってみると疲労よりも達成感が大きく上回ったという。選手の立場だけでなく、レフリーとして見た新しい世界が近藤の視野をさらに広げた。
「ずっと選手一本だったので、レフリーの気持ちまで正直考えたことはなかったです(笑)。なので、終わったときの気持ちとしては、『レフリーだとこういった感じで終わるんだな』と分かったし、この道でも生きていくんだという思いになりました」
原点と言える場所で憧れのトップレフリーたちとの”共演”