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「桜のジャージとは、ラグビー人全員にとって特別なもの」三重ホンダヒート 近藤雅喜 究極の選択の末に選んだ世界の舞台(全5回 #2)

ジャパンラグビー リーグワンの三重ホンダヒートでプレーしながら、レフリーとしても笛を吹く近藤雅喜選手。

ラグビーが純粋に好きという想いから競技を始め、高校・大学と日本代表としてもプレーしてきた。途中、選手生命を脅かす大怪我に見舞われながらもピッチに復帰した。

そして卒業を控え、次の進路を選択するタイミングになった。第2回は、ホンダヒート入団そして日の丸を背負ったセブンズ時代に迫った。

>第1回はこちら

(取材協力:三重ホンダヒート 取材 / 文:白石怜平、以降敬称略)

会社の文化にも惹かれ、ホンダヒートに入部

明大1年の時に負った選手生命の危機に関わる怪我(左膝前十字靭帯断裂)を克服し、復帰後も活躍を続けた近藤。

4年生となった2016年、当然のごとく国内最高峰の舞台であるトップリーグ(現:リーグワン)の複数チームからオファーを受けていた。

リーグでも上位のチームからも誘いがあるなか、近藤は(現:三重)ホンダヒートへの入団を決めた。当時その決断に至った理由を訊いた。

「自分の中で特にチャレンジングなチームだったと感じたんです。もちろんどのチームもチャレンジングでそれぞれ考え方があると思うのですが、ラグビーももちろん、何より本田技研工業という会社としての在り方を聞いた時に、トップリーグそしてホンダで結果を残したいという想いが強くなったんです」

三重ホンダヒートを選んだ決め手を語った

近藤の出身が愛知県で、拠点が東海地区であることも魅力の一つになった。上で近藤が語った企業としての在り方、どんな点が心に響いたのかを続けた。

「ホンダといえば世界的なグローバル企業ですし、よりチャレンジする文化があると感じました。昨日よりも今日、今日よりも明日前に進むというような、挑戦をする文化が企業としての考えでもありますので、そこに自分は惹かれました」

また、自身をチームに導いてくれた”恩人”への感謝も決して忘れてはいない。

「リクルーターの向久保(孝)さんが朝6時に始まる練習前に毎日来て下さっていました。ラグビーを通じての人の繋がりや熱意が、一人の人間として心打たれたものがありました」

トップチャレンジリーグからのスタートも全勝で昇格へ

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