• HOME
  • 記事一覧
  • ラグビー
  • 「自分の体をもっと知ろうと思いました」選手とレフリーの”二刀流” 三重ホンダヒート・近藤雅喜 学生時代の大怪我を経て気づいた己との向き合い方(全5回 #1)

「自分の体をもっと知ろうと思いました」選手とレフリーの”二刀流” 三重ホンダヒート・近藤雅喜 学生時代の大怪我を経て気づいた己との向き合い方(全5回 #1)

ジャパンラグビー リーグワンの三重ホンダヒートでプレーする近藤雅喜選手。現役選手としてプレーしながら、レフリーとして試合で笛を吹くという両輪で活躍している。

選手・レフリーとして国内最高峰のリーグワンでプレーし、学生時代からセブンズまでは日本代表として桜のジャージを身に世界を戦ってきた。そしてレフリーとして高校ラグビー最高峰の花園の舞台でも笛を吹いている。

前例が少ないながら、双方でラグビーに”熱中”し挑戦を続けている近藤選手の挑戦の軌跡を全5回にかけて追いかける。

(表紙写真提供 / 取材協力:三重ホンダヒート 文:白石怜平 以降敬称略)

幼少期の頃から繋がっていたラグビーとの縁

近藤がラグビーと出会ったのは物心つくかつかないかの幼少期だった。高校ラグビーのドキュメンタリー番組をTVで見ていた時に、「やってみたい」と言ったのを両親から聞かされていたという。

小学校に上がるとすぐに地元のラグビースクールへと入学した。ただ、ラグビーだけではなく野球も好きだった近藤少年。野球とラグビーの2競技をして過ごし、中学生に上がるタイミングでラグビー1本へと絞った。

近藤は愛知県の出身で、野球がひときわ盛んな地域である。全国でも知名度のある高校がひしめいているなど競技人口も多い。

将来ラグビーか野球でプロになることを夢見ていた少年は、子どもながらも「競争は激しく、野球で生き残るのは相当難しいだろう」と客観的な視点で考えていた。

今も野球は好きでプロ野球やメジャーリーグも観るというが、何より一番好きなスポーツは幼少期からの縁であるラグビーだった。

「プレーの激しさに惹かれましたね。あとラグビーは球技ではありますが、格闘技の要素も入っている。なおかつ走る・投げる・蹴るといった総合的な動きが入っているので、そこがやっていて楽しかったんです」

物心着く前からラグビーに触れていた

中学卒業後は、高校ラグビーの名門・東海大仰星高校に進学。地元を離れ、単身大阪へと渡った。

「当初は地元の高校に行くことを考えていましたが、仰星に熱心に誘っていただき引っ張ってもらいました。高いレベルでやりたいというのが一番大きかったです」

中学時代から目標にしていた桜のジャージ

関連記事一覧