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【特集】戦場への帰還 ~不屈の精神と長き闘いの記憶~埼玉武蔵ヒートベアーズ 由規兼任コーチ 第2回 神宮のマウンドにカムバック。1771日ぶりの復帰と1786日ぶりの勝利

復帰登板の過程にあった思考の転換

育成選手となった時、前述の通り焦りがあったと語っていた。ここについて深く訊いてみた。

「当時手術前の状態に戻すことを目標を置いていたのですが、その目標が高い設定でした。それだとどうしてもギャップが生まれるんですよ」

ギャップを埋める作業のために無理をしてさらに故障を引き起こす。さらに焦りから冷静な判断ができなくなるなど、悪循環が生まれてしまう。ここで、思考を変えたという。

「結果的に”そこの目標にたどり着いた”という状況にすることが一番気持ち的に楽だと思います。

復帰したときに”神宮で勝つ”ことよりも、”神宮で1球でもいいから投げる”と考えると、すごく気持ちが楽になった。結果的に神宮の舞台で勝利する。育成から支配下に上がる、1球投げたら次に2球目、3球目と増えていくので。

神宮のマウンドに立てたことによって『次は勝つためにどうするか』という新しい目標に切り替わっていった。楽に考えるかが大事なんだと思いました」

思考の転換もパフォーマンスにいい影響を与えた

18年、再び右肩痛を発症。ヤクルトでの最終年に

18年は開幕から一軍で先発ローテーション入りし、序盤は順調に登板を重ねていた。しかし、ここでまた暗雲が立ち込めてしまう。地元仙台での楽天戦。投球中に右肩へ違和感を訴え、4回裏まで投げたところで降板した。

地元で勇姿を見せるはずが、皮肉にもヤクルトでの最後の登板となってしまった。

「投げた瞬間に”あれ?”という痛みが初めて走ったので、これはまずいなと。またぶつかったような感覚があったのですが、あの時は骨挫傷で、インナーマッスルが効かなくなってしまい、肩のポジションが悪くなってきたまま投げ続けたために挫傷してしまったんです」

18年に肩痛を再発させてしまっていたという(球団提供)

以降も一軍帯同をしながら様子を見ていたが、状態が上がらないままシーズンが終了。ここで戦力外通告を受けてしまった。

球団はポストを用意したが固辞。”まだ現役でやりたい”その想いから他球団への移籍を目指し、調整を続けた。

そこでオファーを出したのが、地元の楽天だった。

つづく

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