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【特集】戦場への帰還 ~不屈の精神と長き闘いの記憶~埼玉武蔵ヒートベアーズ 由規兼任コーチ 第4回 リハビリを支えた2人の”先輩”とのエピソード編

BCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズから楽天モンキーズに移籍し、台湾リーグへ挑戦することになった由規投手コーチ兼投手。

11年シーズン終盤に感じた肩の違和感から約5年に亘る怪我との闘いを余儀なくされた。特にヤクルト時代、首脳陣やトレーナーはじめ多くの方がリハビリを支えてくれた。

その中でも今回の取材の中では、同じように怪我で長期のリハビリを経験しした2人の先輩を挙げてもらった。そのアドバイスは由規投手にとって心の支えとなっていた。

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(取材協力:埼玉武蔵ヒートベアーズ、取材 / 文:白石怜平 ※肩書きは当時・以降敬称略)

伊藤智仁コーチから学んだ「限界を下げない」

ヤクルト時代、由規同様に長期の怪我から復帰までを経験した先輩がいた。今回上がった2人のうち1人目が伊藤智仁・一軍投手コーチ。

伊藤コーチは、93年に前半戦だけで7勝2敗、防御率0.91を挙げ新人王に輝いた。しかし、ルーキーイヤーからフル回転していた影響もあってか7月に故障で戦線離脱をすると2年目には由規と同じ肩を痛め手術。

リハビリを経て96年に1050日ぶり一軍復帰を果たすと、97年には主に抑えとして7勝2敗19セーブをマークし日本一に貢献。カムバック賞も受賞した。

しかし、その後99年・01年とさらに2度肩を手術をするなど、長く怪我に悩まされ、03年に現役を引退した。ヤクルトでは04年から17年、楽天での2年を経て、21年から現在も再びヤクルトで投手コーチを務めている。

由規にとっては入団した08年から手術を経て復帰を果たす間、共にユニフォームを着ていた。特に同じ肩の手術をしていたため、一つ一つの言葉が心に刺さった。

「智さんから言っていただいたのは、『良かった時を追い求めちゃダメ。こかでシフトチェンジをしなければいけない』と。あとは、当時リハビリを経て投げられるかどうかのタイミングで、『今はどこかでブレーキかけている状況を打破しなければ先に進めないよ』とアドバイスいただいていました」

伊藤智仁コーチからはとにかく前に進むためのアドバイスを受けた

手術をすると筋力も落ち、可動域も制限されるためそれを戻すために階段を1段1段上がる必要がある。だからと言って”鍛える”・”強くする”という意識を持たないとその先は見えていかない。

由規は伊藤コーチからの教えを心に刻んでいた。

「制限をかけて全力を出せないことによって自分の全力の基準が下がってしまうんです。リハビリをしていく中で状態が上がったあとに落ちるタイミングがどこか来ます。難しい話ではあるのですが、ここを一回上げる。

今思い返すと自分にもそのタイミングがありました。もう一度ギアを上げられなかったら、試合に復帰できなくてブルペンがMAXになってしまう。僕もコーチの立場として、怪我をしていない選手にもこの話は伝えています」

16年に戦列に復帰した際、伊藤コーチは由規を一軍の戦力として見ていた。叱咤激励をもらえることに意気に感じた。

「今もコーチをされていますけれども、怪我した選手の気持ちが人一倍わかる方だと思います。一軍に戻った時は、『復帰したんだから、自分が活躍できるように努力。また練習するしかないぞ』と。当時新鮮でしたね。”あぁ、戻ってきたんだな”という実感が沸きました」

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