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関西独立リーグ 兵庫ブレイバーズ 川崎大介代表「地域と野球を結びつけられるこの仕事に魅力」解散危機を乗り越えた11年の歴史

さわかみ関西独立リーグに所属している「兵庫ブレイバーズ」。三田市や西脇市を中心に、兵庫県を拠点に活動している。

前身の「神戸9クルーズ」時代から形や名称を変え、一時は経営危機にも陥るなどさまざまな危機を乗り越えてきた。

全2回の第1回は、チームの代表を務める川崎大介氏に球団と関わることになったきっかけや今シーズン話題を呼んだ久保康友投手入団について伺った。

(取材協力 / 写真提供:兵庫ブレイバーズ、文:白石怜平 ※以降一部敬称略)

3度の改称を経て現在のチーム名に

兵庫ブレイバーズは、現在さわかみ関西独立リーグに所属しているチーム。ルーツは11年前に遡る。

”ナックル姫”の愛称で活躍した吉田えり投手ら所属した「神戸9クルーズ」の後継球団として2011年に設立。現在も拠点に置く三田市のバックアップなどもあり、「兵庫ブルーサンダーズ」として、旧関西独立リーグに参入した。

13年シーズン終了後には旧関西独立リーグを脱退し、翌14年からは06BULLSとともに「BASEBALL FIRST LEAGUE(現:さわかみ関西独立リーグ)」設立し、今に至っている。

チーム名は3度の変更を経ている。設立時の名称は上述の「兵庫ブルーサンダーズ」であったが、川崎代表が経営権を引き継いだ20年に「神戸三田ブレイバーズ」となった。

これは、地域に愛されながら、かつ勇敢に(Brave)勝ち進むという意味を込めている。

同じ兵庫に本拠地に置き、“ブルーサンダー打線”で人気を集めたオリックス・ブレーブス(現:バファローズ)のさらに上をいくようにと、比較級「Braver」を合わせ、拠点を置く地域を冠し、「神戸三田ブレイバーズ」とした。

兵庫ブレイバーズのメンバー

そして、今シーズンからは「兵庫ブレイバーズ」とさらに改称し現在に至っている。

「”ブレイバーズ”の名はファンの方からの公募で選ばせてもらいました。

特に神戸・三田を中心に活動してるものですから、地域名も冠しました。ただ、ありがたい話で愛称を変えた後に両地域以外からのご支援をいただいく機会も増えましたので、再び”兵庫”として改称いたしました」

「マイナスからのスタートでした」一人で運営会社を立ち上げ

川崎代表とブレイバーズとの出会いは約10年前に遡る。代表の息子が地元の少年野球チームに所属しており、球団の野球教室でお世話になったことがきっかけだった。

その後も野球教室や地元の活動で球団とは度々顔を合わせるなど長く続く関係となった。

球団経営に携わるようになったのは約5年前。当時、川崎代表は大阪で広告代理店の営業として勤めていた。

球団の財政状況などは聞いており、少しでも力になりたいと考えた川崎代表は、球団の協賛営業の業務を受託した。広告代理店に勤めながらの活動で”2足の草鞋”を履くことになった。

2年ほど続けていた一昨年、両立することに限界を感じた川崎代表は、「魅力ある企画だと思ったので」と球団の業務に専念する決断をし、24年以上勤めた広告代理店を退職した。

継承当時を振り返る川崎代表

しかし、そこに待ち受けていたのは茨の道であった。兼ねてから経営状況が芳しくなかったのもあり、まずは球団の専属広告代理店として川崎代表が一人で別法人を立ち上げた。

その一方で、数ヶ月後更なる試練が襲う。球団の運営会社が解散することになってしまったのだ。それでも球団運営に専念するとなった矢先の出来事で後戻りはできない。川崎代表はなんとその負債を受け、球団の運営を一人で行うことになった。

「僕はゼロどころかマイナスからスタートでしたね…どうしようかと思ったのですが、ご支援いただいている方たちもたくさんいらっしゃいますし、何より選手たちもいますので、まずは融資などを活用してやってみようと思いましたね」

野球と地域をつなげる仕事に魅力を感じている

球団への熱意や退路を断って挑戦した意地、そして何より支援者や選手たちへの想いが川崎代表を奮い立たせた。さまざまな感情が錯綜しながらも一つ一つ階段を登って行った。

「ネガティブな話ばかりではなく、球団を運営する機会なんてそうは無いですし、地域の皆さま始め、たくさんの方に応援していただいてこの活動が成り立ってるもんですから、地域と野球そして選手を結びつけるこの仕事にとても魅力を感じていますので、ここまで頑張って来れました」

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