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【特集】戦場への帰還 ~不屈の精神と長き闘いの記憶~埼玉武蔵ヒートベアーズ 由規兼任コーチ 第2回 神宮のマウンドにカムバック。1771日ぶりの復帰と1786日ぶりの勝利

BCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズから楽天モンキーズに移籍し、台湾リーグへ挑戦することになった由規投手コーチ兼投手。

仙台育英高校では夏の甲子園に出場し、当時から155km/hの剛速球で注目を浴びた。その後ヤクルトにドラフト1位で入団し早くから頭角を表すと、2010年には当時日本最速の161km/hをマークし、本格派投手の代名詞となった。

しかし、翌年から長い怪我との闘いを余儀なくされてしまうことになる。13年に手術し、15年オフには育成選手として再起を図ることに。

そして16年、ついに約5年ぶりに神宮のマウンドへと帰ってきた。

>第1回はこちら

(取材協力:埼玉武蔵ヒートベアーズ、取材 / 文:白石怜平 ※肩書きは当時・以降敬称略)

育成選手からのスタート、焦りとの闘いも

15年に4年ぶりの一軍復帰に届かなかった由規はオフに育成選手へと移行した。背番号は「11」から「121」となり、16年を迎えた。

「当時は焦りもありましたし、メンタル面でもきつい状況でした。このまま支配下になれなかったら戦力外だと思っていたので、とにかく支配下に上がって一軍で投げることを目標にしないと来年はないと考えていました」

先発投手として一軍で投げるために、まずは肩を早く回復させることをテーマに設定した。治療に加えて、有酸素運動や交代浴などのケアにより重点を置き、ファームでの登板当日から次の登板まで回復を徹底的に促した。

16年はまず育成から支配下へ復帰することを第一目標に置いた(球団提供)

宮本賢治二軍監督や成本年秀・石井弘寿両二軍投手コーチも登板間隔を空けてからマウンドへ送り出すなど、首脳陣も由規の復活を後押しした。

「みなさん気遣ってくださったおかげで僕は1試合に懸ける・全てを使い切ろうと思いましたし、その分失敗が許されないという気持ちでやってました。

5回、6回と長いイニングを投げて結果も残せるようになって、『この試合を抑えたら支配下になれる』と言われた最終テストでも100%出しきることができました」

最終テストは6月22日、イースタン・リーグでの巨人戦(ジャイアンツ球場)。

この試合には、当時の真中満監督はじめ小川淳司SD(現:GM)、さらには衣笠剛球団社長(現:代表取締役会長兼オーナー代行)も視察に駆けつけていた。

由規は5回98球を投げ、3安打2失点。自責点は0で最速151km/hをマークし8奪三振と好投。実力で支配下登録を勝ち取った。

ファームの最終テストで”一発回答”を出した(球団提供)

高津臣吾(現:監督)・伊藤智仁の両一軍投手コーチも”戦力”として計算し、事前に復帰戦の時期を伝えた。

「一軍で投げるまでの間隔を最終テストから2週間ほど空けてくださって、それで自分で逆算しながら調整できました」

これで復帰の舞台は整った。

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