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埼玉武蔵ヒートベアーズ 角晃多球団社長「身体の強さと資本力が選手の価値」ロッテ時代の教訓と独立リーグでの選手生活

現在、埼玉武蔵ヒートベアーズ(以下、ベアーズ)の球団社長を務める角晃多さん。

22年までは球団社長に加えてゼネラルマネジャー(GM)そして監督を務める”三刀流”として、スーツとユニフォームを着替えながら球団運営全てを担っていた。

昨年から球団社長専任になった角さんにロングインタビューを実施。ここではロッテ時代からベアーズでの現役引退までを振り返る。

(取材協力:埼玉武蔵ヒートベアーズ 文:白石怜平 ※以降、敬称略)

08年、育成ドラフト3位でロッテに入団

1991年生まれの角は、かつて左のサイドスローとしてプロ通算99セーブを挙げた角盈男(元巨人他)を父に持つ。

高校時代は激戦区である神奈川県の名門・東海大相模で4番を務め、通算39本塁打を放った。

主に角の前を打った大田泰示(現:DeNA)らとともに2年・3年時には神奈川県決勝に進むも、惜しくも敗れ甲子園出場とならなかった。

08年の秋に行われたロッテの入団テストに合格し、育成ドラフト3位で入団した。背番号は3桁の「129」を背負い、まずは支配下選手になることを目標に練習へと励んだ。

「1年目は自分でなんとか支配下を掴もうと無我夢中でやっていました。2、3年目になると、キャンプでも若手の強化指定選手に入れていただいたので、さらに量をこなしていきましたね。

支配下になるということは、一軍で使うかどうか判断されることも入団時から理解していたので、早くそこに割って入りたい思いでした」

埼玉武蔵ヒートベアーズ 角晃多球団社長

12年、目標の支配下に登録されるも怪我との闘いに

3年目の11年、支配下に向けて大きく前進する1年になる。イースタン・リーグの開幕から出場を重ね好調を維持。打率・安打数が共にリーグ2位の成績をマークし、3・4月の月間MVPを受賞した。当時の心境をこう明かした。

「月間MVPを獲って”ようやく来たかもしれない”と思う自分も正直いましたが、当時ロッテの一軍はしっかりレギュラーも固まっていました。本職のセカンドはその時井口(資仁:前監督)さんですよ(笑)。それはお呼びでないことも理解していました」

同時に好調であるがゆえの不安が徐々に襲ってきていた。

「最初は良いスタートを切れましたが、初めてフルで出させてもらったので、年間通じて良いパフォーマンスを出していくことができるのか。いくら春先頑張ったといえども、『どうかな?支配下行けるかな…』という不安は少なからずありました」

それでもシーズンを戦い抜き、12年には念願の支配下選手へと登録された。背番号は2桁の「69」となり、リスタートを切った。しかし、その後は度重なる怪我との闘いとなった。

「3年目にフルで出るようになって無理した部分はあったかもしれないですね。結果的に4年目に入ったタイミングで、今までなったことないような怪我をたくさんしたので、今思えばそうだったのかなと言うのはあります」

支配下登録後は故障にも苦しんだ

アキレス腱炎など疲労の蓄積から来る炎症や、細かな怪我が頻発するようになった。また、中学・高校時代と2度も膝の前十字靱帯を断裂し、手術を受けていたことも影響したのではと振り返る。

「その辺りの歪みが来たのかもしれないですが、故障が多くなった1年だったと思います」

ただ、治療に時間をかける余裕などなかった。一軍昇格を次なる目標に定め、ファームで鍛錬を重ねた。しかし、2年間奮闘を続けるも一軍昇格の目標は叶わず、14年に戦力外通告を受け退団することになった。

生き残る上で必要なのは「年間を戦う身体の強さ」

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