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釜石シーウェイブス 佐伯悠 震災から再度動いた時計の針。最も忘れない「人生で1番ラグビーが楽しかった日」

「困ってる時こそ助けようじゃないか」翌日から街に

避難して辿り着いた高台で目の当たりにした大津波。現実かどうか受け入れらない中、家族の安否するために自宅へと向かった。

佐伯が居を構えるのは、釜石市の松倉という内陸部であったため津波の影響は受けなかった。勤務地近くの高台から山の道なき道を見つけながら、3時間以上かけて帰宅。家族が全員無事であることを確認した。

しかし、ライフラインは全て遮断されているため、電気も水道も止まった状態だった。チームのクラブハウスが近くにあるため、同じく避難したチームメイトたちと家族で過ごすことにした。

クラブハウスではチームのマネジャーが発電機を用意してくれた。テレビを通じて東北の惨状を伝える様子が映し出された際は、外国人選手ともども言葉を失ったという。

そんな中、翌日から被災地へと足を運んだ。職場は津波に飲まれ、建物も倒壊。工場も瓦礫の山と化していた。裏の川には遺体がいくつも流されており、その様子を見て心を痛めるばかりだった。

「職場に行って工場の中から何か活用できるものを探さなければならなかったので、数日はしんどかったですね気持ち的に。落ち込むことが多かったですし、後は『何か自分たちにできることはないか』と考えたりしていました」

シーウェイブスとしても活動は中断した。しかし、体重100kgを超える強靭な体を持ち、”ノーサイド”・”ONE TEAM”が代名詞になるほど結束力のあるラガーマンたちがこのまま屈するはずがなかった。

発生当日にクラブハウスで身を寄せ合っていた選手たちは、この日から自ら街へと繰り出していった。

「街に行って困ってる時だからこそ助けようじゃないかと。皆自発的に行っていました。何せ力が有り余っているので、ボランティアセンターとか市の集配所にトラックが来たら荷物を降ろしたり水を汲んだりしました。あと、病院の電気も止まってしまったので、人を乗せたままベッドを手で運んでいましたよ。皆馬力ありますから」

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