釜石シーウェイブス 佐伯悠 震災から再度動いた時計の針。最も忘れない「人生で1番ラグビーが楽しかった日」
「ラグビーやっていいんだ」すれ違い様に受けた言葉とは
困難な状況だからこそ、シーウェイブスの絆が大きく発揮されたエピソードがある。佐伯は強く語ってくれた。
「外国人選手も一緒に協力してくれたんです。各国の大使館の方が確か3日目来たんですよ。『ヘリコプターが待ってるので帰りましょう』って言ったら『僕たちはここにいるから母国の人に無事だと伝えてくれ』と。
『だって帰る必要ないでしょ?仲間も居るし困ってる人だっているんだから』とサラッと言うんですよ。あれには心打たれましたよ」
被災後、支援活動は約2ヶ月間続いた。ただ、過ごす中で、自身の本業のラグビーについて考えることなど当然ながらなかった。しかし、ある街中でのひょんな出来事が佐伯の心の時計を動かすのであった。
「僕は、街が津波に飲み込まれているのを見たときに『もう釜石でラグビーができないな』と思ったんですね。しばらくはラグビーの事は全く考えられなかったのですが、ボランティア活動していく中で偶然街を歩いていた年配の方とすれ違った時に『ラグビー部じゃねぇか何してんだぁ。こんな時だからこそラグビーしなきゃだめだろう』って声をかけられて。
昔からのファンの方なんでしょうね。それを聞いたときに『え?やっていいんだ』っていう頭に電気が走った感じがして。『こういう時だからこそラグビーやらないと釜石盛り上がらないよ、あはは!』って言ってどこかに行ってしまったんです。
誰か会いたい人を1人選ぶとしたら僕はその人に会いたいです。この言葉に救われてラグビーしたいなって言う気持ちが強くなったんですよ」
街の光景や人々にそれぞれスイッチが押され、ラグビーへの熱が沸々と燃え上がる。止まっていた時計が復興に向けてもう一度動き始めた瞬間だった。