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「Matsui 55 Baseball Foundation」設立のルーツ(前編) 松井秀喜さんが8年間贈り続けるメッセージ「自分の好きなものを見つけてもらい、そこ向けて一生懸命に」 

ルーツは2004年、日米の子どもたちとの交流プログラムから

設立のきっかけは2004年に遡る。松井さんは当時メジャー2年目のシーズンで、白井さんは当時ニューヨーク・ヤンキース傘下1Aだったスタテンアイランド・ヤンキースに職員として入社した年でもあった。

同じ日本人、そして共にニューヨークに本拠地があることから松井さんとの関係が始まった。

「同じ組織ということもあり、その縁で松井と一緒に仕事をするようになりました。最初何をやり始めたかと言いますと、松井の地元石川県とニューヨークの子どもたちとの交流プログラムである ”Hideki Matsui’s International Friendship Program” (以下、フレンドシッププログラム)を立ち上げました」

今回取材に協力いただいた白井孝明さん(写真右)提供:Matsui 55 Baseball Foundation

日本の4番として、そして名門ヤンキースの4番としても活躍していた松井さん。国際交流の一環として、子どもたちとの交流の機会を設けたいと白井さんが提案をしに行った。

「その後、数ヶ月後に松井から連絡があって、『ぜひ一緒にやりましょう』と言っていただいて始まりました。このプログラムは3年(05年〜07年)やりまして、最初は石川県からニューヨークに、翌年はニューヨークから石川県にというようにお互いが行き来をして行いました」

このプログラムをなぜ松井さんに提案したのか。その意図を明かしてくれた。

「皆さんもご存知かもしれないんですが、アメリカでは現役・OBの選手がコミュニティやファンの方々に対しての還元、恩返しをする活動が盛んです。

日本から来た松井としては、当時馴染みが薄い部分もあったと思うのですが、デレク・ジーター選手やマリアノ・リベラ選手など当時現役だったチームメートの方たちも、すでにファウンデーションを立ち上げファンの皆さんに還元する活動を行っていました。

そういった例を挙げまして、『松井さんもメジャーリーガーということで、ぜひ活動をやりませんか?』ということで提案しました」

白井さん(写真右)の提案から始まった

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