「ファームで過ごした時間も僕にとってはすごく貴重でした」松井秀喜さん 思い出の地で振り返るルーキー時代の記憶と”背番号55”の後輩へのメッセージ
「飛距離は負けていなかった」先輩と切磋琢磨した日々
入団した1年目の開幕はファームで迎えた。当時、このジャイアンツ球場でどんな日々を過ごしていたのか。「もう必死に過ごしていただけですよ」と語りながら続けた。
「どうやったらいいバッティングできるのか、結果を残せるのか。あとは外野にコンバートされたばかりだったので、守備もどうやったらうまくなるか。
本当に一瞬一瞬が必死だったので、将来を考える余裕とか当時はまだなかったような気がします。でも今考えると、そういう日々がその後の自分の野球人生にいい形でつながってくれたのではないかと思いますし、ファームで過ごしてた時間も僕にとってはすごく貴重でした」
当時の二軍監督は”V9戦士”の末次利光さん。同じ若手だった大森剛さん(慶應大-巨人-近鉄)や吉岡雄二(帝京高-巨人-近鉄-楽天)さんと特打をしていたという。
「正直、飛距離は負けていないと思いました。その後一軍で活躍された選手たちと一緒に汗を流したのもいい思い出でしたね」
共にアマチュア、プロで長距離打者として名を馳せていた2人と切磋琢磨し、松井さんは高卒ルーキーとしては現在もセ・リーグ記録の11本塁打をマーク。翌年以降は一軍に定着し、その後の飛躍へと繋がっていった。
”55番の先輩”から秋広選手へのメッセージ
松井さんの代名詞の1つが背番号「55」。現在巨人では秋広優人選手が付けている。身長2m・体重95kgという恵まれた体格で今年ブレークを果たそうとしている。
松井さんも秋広選手の活躍を見ており、「同じ(巨人の)ユニフォームで同じ番号を付けた後輩ですから、また”55番”がね、東京ドームで躍動する姿を見れるのは嬉しいので、応援していきたいなと思います」
東京ドームで55番がさらに飛躍するために、”先輩”としてメッセージを贈った。
「ジャイアンツの選手は、チームが勝つための力になる。その一点に尽きると思いますから、もちろん個人のレベルアップは大事ですけれども、とにかくジャイアンツの勝利に日々貢献できる選手になってほしいなと思います」
野球教室が行われたこの日のナイターで、秋広選手はプロ初本塁打を放った。松井さんのメッセージ、55番の持つ力というのは確かに秋広選手へと伝わっていたと思えた1日だった。
(おわり)
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