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石井丈裕 「バッティングピッチャーとして投げていた」大学時代の逆境から 「日本を代表する誇りを持って」掴んだソウル五輪のマウンド

日の丸の誇りを胸に準決勝、そして決勝で先発し銀メダル

切り替えて臨んだ本戦、石井は背番号「18」を背負い、野茂・潮崎と共にローテーションの柱としてフル回転した。

代表コーチを務めた山中正竹(元法大監督ほか)は、渡辺とともに石井を主戦に任せる構想を抱いていた。しかし、渡辺が世界大会で怪我を負ってしまう。石井の役割はさらに重要なものとなっていった。

石井はここでも実力通りの投球を見せた。予選リーグ初戦のプエルトリコ戦で先発すると、1失点に抑え完投勝利。続く対台湾戦では同点で迎えた9回表から5イニングを4安打無失点に抑え、サヨナラ勝利を引き寄せる。

さらに準決勝の韓国戦、決勝のアメリカ戦と重圧のかかる大一番で続けて先発の大役を担った。韓国戦では開催国でもあり”完全アウェー”。ブーイングが容赦なく浴びせられる中、闘志を全面に出した投球で7回途中5安打1失点と堂々たるピッチングだった。

ソウル五輪では主戦投手としてフル回転した

そして金メダル連覇をかけて迎えた決勝では、後にメジャーで87勝を挙げる”伝説の隻腕投手”ジム・アボットと投げ合う。

しかし、2回に1点を先制した4回、四番で後にメジャー通算339本塁打をマークしたティノ・マルティネス(元ヤンキースほか)に逆転2ラン本塁打を浴びてしまう。打線もアボットを打ち崩すことはできず、3−5で惜しくも敗れ銀メダルとなった。

石井は大会でチーム最多の23.2イニングを投げ、防御率1.14の成績をマーク。2大会連続メダル獲得の原動力となった。

「最後は悔しい思いもしましたが、やり切りました。最初の状況もありましたから、メダルを獲れたのは本当に嬉しかったです。試合前に君が代が流れた時、それは鳥肌がたちましたし、日本を代表するという誇りがありました。プレッシャーよりもやりがいを持ってマウンドに上がっていましたね」

そして、ついにプロへの扉が開かれていった。

つづく

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