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石井丈裕 「バッティングピッチャーとして投げていた」大学時代の逆境から 「日本を代表する誇りを持って」掴んだソウル五輪のマウンド

苦節3年、神宮で初登板を果たす

ただ、これまでの苦労は確実に開花のための礎となっていた。3年生になりようやく神宮のマウンドに立つことができた。

「2年生になったら監督が少し目をつけてくれていたんです。結局公式戦で投げる機会はなかったのですが、練習試合で徐々に投げさせていただく機会が増えました。

3年秋の最終戦で明治大の優勝が決まっていたので、最終戦で登板できました。そこで結果を出せたので、4年生でも投げさせてもらえましたね」

4年時に頭角を現し、86年の春季リーグ戦では3勝を挙げてベストナインに選ばれた。同年の日米大学野球選手権大会・第29回アマチュア野球世界選手権では日の丸を背負うなど、大きな飛躍を遂げた。

高校時代も3年生で初の甲子園でのマウンド、大学でも同じく3年生で初めて神宮のマウンドに立った。5年近くに亘り、腐らず地道に積み重ねてきた苦労がここから報われ、以降下地となって活躍を支えていく。

ここでも長きにわたる努力で才能を開かせた

進路が注目される中、石井が次に選んだ勝負の舞台は社会人野球だった。ドラフト候補に上がり、プロへの可能性もあった中での選択。決断の理由を明かしてくれた。

「大学野球が終わった時にプロの話もあったそうなのですが、肩を壊していたんですね。この状態でプロに入って悪化させたらすぐ野球人生は終わってしまうと思ったんです。

あとは、大学4年の時にジャパンに選ばれて世界大会に行って、その時に海外のチームと勝負する楽しさを覚えたんです。それなら社会人で挑戦したいなと。プリンスホテルの方たちから熱心に誘っていただいたのもあって決めましたね」

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