「僕の第2の人生としても活かせる場所は北海道」谷口雄也さん 現役最終年の葛藤とファイターズでの第二の人生を始めるまで(全5回 #4)
北海道日本ハムファイターズで11年間プレーし、現在は株式会社ファイターズ スポーツ&エンターテイメントで事業統轄本部に所属している谷口雄也さん。
20年に出場試合数が1桁となり、覚悟を決めた21年。この年が現役最終年となる。そして、今の仕事に就くまでにもエピソードがあった。
(取材協力:ファイターズ スポーツ&エンターテイメント、文:白石怜平)
21年、肩を痛めてしまい「覚悟のシーズン」そして引退へ
膝の大怪我を乗り越え19年に30試合に出場するも20年に7試合の出場に終わり、不退転の覚悟で臨んだ21年。その春先に今度は膝とは違うアクシデントに見舞われた。
「実は肩を痛めてしまいました。小学校一年生から野球をしてきて、肩は初めてだったんですよ。外野を守っていて20m〜30mくらいで、カットマンに対しての送球も山なりで投げるのが精一杯で、そこまで深刻でしたね…」
痛めた箇所は棘上筋と棘下筋だった。肩をあげることすらままならない状態で、日常生活にまで支障をきたすほどだった。
「年間通じて痛みがありました。ただ、離脱となったら完全に僕はチームから必要とされる選手ではなくなる。そこは念頭に置きながらトレーナーさんやチームの方には話をして、できる範囲でやらせてほしいと。
となると、つまりは守ることにおいては戦力になれないことになるので、怪我をした時から”今シーズンが最後だろうな”と覚悟を決めたシーズンでした」
プレーを続けながら治療を施すも、上述の通り肩の状態は一向に上がらなかった。ファームでは58試合で打率.244。一軍では8試合に出場し、12打数2安打の打率.167だった。決断をする時がついに来てしまった。
「球団には、『僕はこれでプロ野球は終わろうと思うんです』と話をしました。すると、チームの方から『しっかりみんなに見送ってもらうべき』という温かいお言葉をいただいたので、最後に札幌ドームのグラウンド立たせていただきました」
10月26日の西武戦。この日は10年間指揮を執った栗山英樹監督の最終戦でもあった。谷口さんは7回に代打で登場し、森脇亮介投手から初球を弾き返し左前安打で最終打席を飾った。
我慢の中に楽しさと感謝が詰まった11年間
谷口さんの現役生活、ファイターズの歴史に名を残す先輩たちそして後に世界一の監督となる指揮官の元でプレーした。日本一というプロ野球選手として最高の美酒を味わい、選手生命に関わる大怪我も経験した11年間だった。
「いいことは少なかったなと思うんですよね。我慢など辛い面の方が強かったのかなと。けれどもやっぱり楽しかったと言えます。もちろん楽ではなかったです。プロ野球選手になって、チームが日本一になってその年に一番自分が試合に出ていたことを成績で見たときに、『自分は野球選手だったんだ』と実感できるのは幸せですよね」
そして、応援してくれるたくさんファンの方への感謝も忘れるはずがなかった。
「小さい頃から野球しかしてきていないですし、大好きな野球が仕事に変わったわけですよね。その中で周りにも評価してもらって、たくさんも応援していただきました。打席に立てば、応援グッズを持って自分を応援してくれる。これはもう僕の中でも財産です」
球団に”直談判”し、第二の人生もファイターズで