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石井丈裕 「バッティングピッチャーとして投げていた」大学時代の逆境から 「日本を代表する誇りを持って」掴んだソウル五輪のマウンド

西武ライオンズ黄金時代に主力投手として活躍し、現在はライオンズアカデミーのコーチを務める石井丈裕氏。

92年には15勝・防御率1.94の成績で沢村賞、そしてシーズンと日本シリーズの両方でMVPを獲得。正力松太郎賞も受賞した名投手である。

一度は球界の頂点に立ったが、ここまで来るには日の目を見ずに苦労し続けた日々があった。

第2回の本編では、3年生で公式戦初登板を果たし開花のきっかけを掴んだ大学時代、五輪にも出場した社会人時代の話をお送りする。

「まだまだ勝負してみたかった」第1回はこちら

(取材協力:西武ライオンズ、文:白石怜平、以降敬称略)

法政大へ進学も「1年間はバッティングピッチャーでした」

早稲田実業時代は甲子園のマウンドを踏んだものの、エース荒木大輔(元ヤクルト・横浜)の控え投手だった石井。

”まだまだ勝負したい”

高校時代は怪我にも悩まされ、満足いくパフォーマンスが出せなかったこともあり、万全な状態でどこまで通用するか挑戦したい想いを持っていた。 卒業後、法政大学へと進学。

大学入学時も順風満帆なスタートではなかったという

ただ、神宮球場での華やかな舞台とは遠く、ここでも陽が当たるわずかな可能性のために汗を流し続けていた。

「1年間毎日バッティングピッチャーとして投げさせてもらっていました。1時間ぐらい投げ続けて終わったらもう2時間ぐらいバッティングキャッチャーでマスクを被る日々でした」

大学野球では最も憧れられる舞台の東京六大学野球。現在は全国の大学から有望な選手がドラフト上位指名されるが、当時は”プロに入るには六大学”とも言われた時代。

甲子園でレギュラーを張っていた選手が大学からスカウトされ、全国から集まっていた。

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