「第16回 小笠原道大杯」新たな舞台で輝いた笑顔と歓声そして小笠原さんが贈った成長への”鍵”
12月11日、千葉県市川市の妙典少年野球場で「第16回小笠原道大杯争奪 市川市少年野球大会(以下、小笠原杯)」の閉会式が行われた。
今年3月にオープンした新たな球場で選手たちが躍動し、名を冠する小笠原道大・巨人3軍打撃コーチも多忙な合間を縫って新球場へ初めて訪れた。
(協力:市川市少年野球連盟、写真 / 文:白石怜平)
3月にオープンした新球場で初の大会開催
小笠原杯は小学5年生までの選手を対象とした、市内の少年野球大会。小笠原さんが現役時代の07年の第1回から今回で16回目を迎えた。
特に、今年は新球場が3月に開場。両翼70m・中堅85m、外野には人工芝が敷かれた少年野球専用球場である。
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春季大会から本格的に稼働開始となり、12月3日には電光掲示板を設置。22年の最後を締める大会を完成形で迎えることができた。
なお、本球場は市の「地域コミュニティゾーン整備事業」の一環として建設された。隣には公私連携型保育所、そして遊具広場「ぴあぱーく妙典」が11月26日にオープンした。
今秋にはバーベキュー施設も完成予定と開発がさらに進んでいる。市川市少年野球連盟の五嶌(ごとう)誠司理事長は、
「本球場を市川市少年野球のメッカにしていきたいです。球場の名称も、妙典少年野球場から”ボールパーク妙典”にしようという意見も出たりしています」
と語り、本球場からさらに市川市の少年野球を活性化させていきたい想いを語った。
稲荷木イーグルスが36チームの頂点に
今回の第16回大会では10月30日に開会式及び初戦が行われてから約2ヶ月間、全36チームで頂点を争ってきた。
閉会式が行われた12月3日、決勝戦「稲荷木(とうかぎ)イーグルス vs 新浜野球部」の試合が行われた。
試合は10:56にプレーボール。直前には両チームが整列し1人1人の名前がコールされた。選手たちは大きな声で挨拶し、会場は都度大きな拍手に包まれた。
試合が始まり、選手がグラウンドに散らばると緊張感漂う雰囲気に。
1回表の新浜野球部の攻撃ではチャンスをつくるも、稲荷木イーグルス先発・小松夢騎(ゆき)投手が踏ん張り0点で終えた。
ピンチを切り抜け勢いづいたのか、その裏の稲荷木イーグルスの攻撃から試合は動き出した。
2死からランナー1人を置くと打者は川内昴(すばる)選手。「将来はホームランバッターになりたい」と掲げる4番は思い切り振り抜いた。打球は右中間を抜けタイムリー3塁打となるなど、この回2点を先制した。
「初回にピッチャーが抑えてくれたので、ここで先制点をとって楽に投げてほしいという思いで”絶対打つ”気持ちで打席に立ちました」
試合後、川内選手は振り返った。
それ以降も攻撃の手を緩めない。途中の円陣でも首脳陣が「さっきのすばる(川内選手)のように右方向を意識しよう」とアドバイスするなど、初回の先制点が確かな好影響をもたらしていた。
先発投手かつ打線ではリードオフマンも担った小松選手が2本のタイムリー、そして川内選手も2本目のタイムリー2塁打を放つなど4回で10得点と試合の主導権を握った。
打席でもリズムをつくった小松選手はテンポのいい投球で、新浜打線に得点を与えない。5回を投げ無失点と堂々の内容で最終回に川内選手へと繋いだ。
そして最終回、2本の長打で打線を引っ張った川内選手が最後にマウンドへと上がった。1点を失うものの、後続を抑えてゲームセット。稲荷木イーグルスが市川市の頂点へと立った。
ナインが一斉にマウンドへと集まり人差し指を掲げる「1」ポーズで喜びを表した。
最優秀選手は小笠原道大さんからの直筆サインバットを贈呈
熱気が冷めやらぬ中、表彰式が始まる。優勝の稲荷木イーグルス、準優勝の新浜野球部、そして3位の市川南スパローズがグラウンドに整列。ここで小笠原さんが登壇し、各チームに賞状を手渡した。
また、優勝から3位までそれぞれ金・銀・銅のメダルが用意されており、各色に縁取った野球ボールの中に小笠原さんのサインが刻まれている。
稲荷木イーグルスナインには、小笠原さんから直接1人1人首にかけて握手を交わした。
その後は個人表彰として、最優秀選手と優秀選手賞を3チームの中から1人ずつ選出。
優秀選手賞では、現役時代の折れたバットから再利用してつくられたサイン入り木製メダル、そして最優秀選手には現役時代の使用モデルのサイン入り木製バットが贈呈される。
映えある最優秀選手には、決勝で4番として2本のタイムリーを放ち優勝へ導いた稲荷木イーグルスの川内選手、優秀選手には新浜野球部の田中啓斗選手・市川南スパローズの横川風人選手が選ばれた。
中嶋会長らが挨拶「市川市には素晴らしい素質を持った選手がたくさんいます」
表彰式を終えると、主催・来賓を代表して挨拶に。まずは、連盟の中嶋貞行会長が最初にマイクの前へと立ち、球場にいる方達に向けて伝えた。
「市川市には素晴らしい素質を持った選手がたくさんいます。もしも、まだ思うような力を出し切れないと感じたら、『これからどうすればいいか』を深く考えて、監督やコーチに指導をいただければと思います。
指導者そして親御さまへ。これからも選手たちに寄り添い、育ててください。よろしくお願いします。選手のみなさんも、ぜひこの冬に練習を積んで力を蓄えて、来年素晴らしい成績を収めてくれることを願っています」
次に市川市文化スポーツ部の森田敏裕部長が挨拶。公務の関係で途中までの参加だった田中甲・市川市長の”代打”として上がった。
「本日優勝されました。稲荷木イーグルスの皆さん誠におめでとうございます。また、新浜野球部の皆さん、惜しくも準優勝という結果になりましたが、この経験を糧に、ぜひ次の大会でも再び優勝争いされることを期待しています。
さて、妙典少年野球場があります一帯は公園エリアの一部完成により、先月末に”ぴあぱーく妙典”としてオープンしました。この野球場も電光掲示板やナイター設備も整い、より充実した施設として皆様にご利用いただけるようになったと考えております。
将来この球場でプレーした子供たちが、小笠原様のように、プロ野球で活躍する日が来ることを楽しみにしております」
小笠原さんが伝えた1つのきっかけ「自分が”何になりたいか”を書いてみてください」
そして、最後に小笠原さんがマイクの前に立った。
ちなみにこの前日には、沖縄で行われた名球会のイベントで試合に出場。現役時代から衰えない技術で三遊間への安打を放ち、さらにはプロ入りから2年間守った捕手でもプレーした。
試合が終わると会場の沖縄からすぐに千葉へと戻り、この日のためそして選手たちのために駆けつけた。毎年、子どもたちの心に残るメッセージを贈り続けてきており、今年もこれからの人生をよりよいものにするきっかけを渡した。
「自分が”こうなりたい”・”こうなるんだ”という強い気持ちを持ってさまざまなことに取り組んでください。そのためには、自分が何になりたいか”・”どうなりたいか”をまずノートに書いてみてください。
書いた項目が例えば9つあったとしたら、1つずつをもっと細分化してやっていくと、自分がどう取り組んだらいいのか、何が足りないかが見えてきます。
足りないところに対して、穴か開いているところを一つ一つ埋めていけば、少しずつでも成長できると思います」
終了後の取材で小笠原さんは、
「野球人口がもっと増えてもらえるように来年・再来年と続けていていきたい。まずは先にある20回と言う数字を通過できるように継続して行けたらと思います」
と今後の発展に向けて想いを改めて語った。
新しい野球のスタイルの具現化は”笑顔と歓声”
約2ヶ月に亘る大会、そして22年の大会は全日程無事に終了した。
連盟として、コロナ禍を踏まえて21年に掲げた”新しい野球のスタイル”。
これを踏まえ、昨年は新たな舞台となる新球場などが完成していき、選手たちの檜舞台にふさわしいテーマは何か協議を重ねた。五嶌理事長は22年についてこう語った。
「公園もオープンして多くの人たちが楽しめるようになってきています。我々は、球場そしてこのエリアには笑顔と歓声がふさわしいということで、新しい野球のスタイルに向けた具体的なアンサーとして”笑顔と歓声”をテーマにしてやってきました」
今年は3年ぶりに開会式を全チームで実施。太陽の下で元気に芝を駆け回るなど、たくさんの子どもたちの笑顔を見ることができた。決勝戦が行われたこの日も、設けられた観客席で一生懸命応援する姿、そしてグラウンドで躍動する選手たちの笑顔もたくさん生まれた。
「この1年は球場そしてその周辺もできてきて、毎週来るのが楽しみでした。そういうワクワクをみんな持っていたと思います。そんな中で今日無事終わったなという安堵ですね」
五嶌理事長は、ほっとした表情で語った。ただ、笑顔と歓声が戻っただけで終わりではない。
「ここまで立派な球場があるので、もっとみんなが頑張れると思います。プレーもそうだし、運営もそう。たくさんやることができたなということで嬉しい悲鳴です(笑)」
市川市の新たな”ボールパーク”は、小笠原さんの想いそして連盟の方々のアイデアを形にする舞台としてさらに輝きを増していく。
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