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「私は絶対に戻るので」語り合った復帰後のビジョンとは?ミズノ・藤田真之介さんと池江璃花子選手 復活を支えた絆のストーリー(後編)

「笑顔になってくれることが何より嬉しい」

今年に入ってからは、一度壁にぶつかってもすぐにそれを打ち破る池江選手の真骨頂を見せつけた。

3月に東京で行われた国際大会日本代表選手選考会では、100mバタフライで優勝するも派遣標準記録まで0.12秒及ばなかった。6月中旬から7月上旬にかけてハンガリー・ブタペストで行われた世界選手権には惜しくも出場はできなかった。

しかし、その約2ヶ月後に行われた第98回日本選手権ではすぐに修正した。女子50m自由形・50mバタフライ・100m自由形での大会3冠を達成。

いずれも白血病から復帰後の自己ベストを更新し、自由形とバタフライの2種目で来年に延期となった広州(中国)で行われるアジア大会の代表に選出された。18年以来4年ぶりに個人種目での代表入りとなった。

中学1年生の時からその逸材に注目し、15歳から縁が始まった。高校卒業間近で病魔に侵されながらも不屈の精神で克服し、アスリートとしているべき場所に帰ってきた。

「中学生からここまで関わらせてもらっていますが、大病になっても本当に強い気持ちで復活されたと思います。練習も伺いましたが、(退院後)初めてプールに入った時、三軒茶屋にある日本大学のプールに入ったところを見て、彼女が泳ぎ切ったとき笑顔を見せてくれた時のことは今でも鮮明に覚えています」

今も池江選手が気になって仕方ないと語った

この間、数々のメディアで話をしてきた藤田さんも思い出す度に感慨深い気持ちになるという。今でも池江選手の表情一つ一つの感情を気にかけている。

「その後も過酷なトレーニングを積んできて、池江選手が肩で息をしていると本当に心配になります。それでも笑顔になってくれたら安心しますし、大会後に喜んだり悲しんだり、涙を見せてのスピーチやインタビューに応じている姿も見せてくれますが、最後はやはり笑顔になってくれることが何より嬉しいです」

上述の通り、長らく担当してきた藤田さんは昨年の10月に池江選手と共に五輪で日の丸を背負った同志である小堀さんへとバトンを渡した。その小堀さんも、プールから離れ、新たな挑戦の真っ只中である。

(つづく)

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