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横浜DeNAベイスターズ 「第5期 横浜スポーツビジネススクール」開講!プロ野球の移り変わりから見る企業としての在り方と成長を支える人材開発の思想

11月11日から始まった「第5期 横浜スポーツビジネススクール」。横浜DeNAベイスターズが運営するスクールで、1月27日までの約2ヶ月半の間で全6回行われる。

このビジネススクールは、スポーツ業界のみならず様々な分野で活躍する人材育成・創出を目指しており、約30名の受講生がベイスターズの取り組みのみならず海外スポーツの事例やビジネススキルなどを学んでいる。

最終回には南場智子オーナー・木村洋太球団社長に加え、Bリーグ・川崎ブレイブサンダースの川崎渉社長とFC相模原の西谷義久社長というDeNAが誇る3大スポーツチームのトップが一堂に会し、トークセッションが予定されている。

本編では分けて、スクールの模様を数回に分けて紹介していく。今回は、第1回の模様をお送りする。

(取材協力:横浜DeNAベイスターズ、写真 / 文:白石怜平)

球団の興亡とベイスターズの歴史

第1回のテーマは「人材から生み出すスポーツの新たな魅力」。

最初の講師を務めたのはビジネス統括本部 広報・コミュニケーション部 部長の青木慎哉さん。

青木さんは横浜生まれ・横浜育ちで、前身である横浜大洋ホエールズ時代からのファンでもある。98年の日本一の際は球団のアルバイトとして間近で関わっており、横浜の街がベイスターズ一色になる姿を見て憧れから目標になった。

その後、スポーツビジネスを学びに本場・アメリカへ留学。帰国後の03年オフにベイスターズの当時の関連会社に就職、05年から球団に転籍し現在に至る。

前回に続き講師を務めた横浜DeNAベイスターズの青木慎哉さん

青木さんは前回の第4期に続いて、講師として”トップバッター”を務めた。まず最初に各球団の興亡の歴史を解説しながらベイスターズの変遷について話した。

球団の誕生は1950年。大洋漁業(現:マルハニチロ)を母体とした「大洋ホエールズ」が山口県下関市で産声を上げた。53年から松竹ロビンスと合併し「大洋松竹ロビンス」に。翌年暮れには松竹が撤退すると55年からは再び大洋ホエールズとなり、神奈川県に移転し川崎球場を本拠地とした。

78年からは新たに完成した横浜スタジアムへ移転し「横浜大洋ホエールズ」に。93年からはより地域に密着した球団を目指すべく、「横浜ベイスターズ」と改称。

その後親会社は02年からのTBSを経て、11年12月からDeNAが親会社となり、現在の「横浜DeNAベイスターズ」となっている。

ベイスターズが回していく2つの軸とは?

青木さんはベイスターズそしてプロ野球球団の移り変わりを踏まえ、事業側として掲げているミッションを受講者に共有した。

「我々のミッションとしては、球団が売上や利益を最大化することや(経営の)安定した仕組みをつくっていくことです」

プロ野球の運営としては親会社の経営が悪化したり、球団自体の赤字が長年続いたことで売却や移転、合併などが起きてしまう。ベイスターズも2010年から11年にかけて、大きな危機を迎えていた。

10年オフにTBSが球団を売却する意向があると報道された際、横浜から新潟、静岡、京都のいずれかに移転する可能性が挙げられていた。翌年12月にDeNA体制となってからは横浜に根付き、地元に向き合い続けたことで球界屈指の人気球団へと進化を遂げた。

事業側の掲げるミッションとその実現に向けても説明した

青木さんも当時、渦中にいた一人だった。同じことを繰り返すことは決してないようにしたいという想いも踏まえ、ミッションを実現するために何が必要かを語った。

「球場でのかけがえのない観戦体験を提供することで、みなさんに楽しんでいただき、また球場に来ていただく。これを毎試合積み重ねることです。

我々はチームを支える強固な事業基盤をつくりつつ、魅力的な強いチームをしっかりつくる。その両輪を回していくことを目指しています」

前半は講義が行われ、全員真剣に聴き入っていた

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