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「斬新な取り組みを継続してやがて自信へとなった」横浜DeNAベイスターズ 桑原義行さん 肌で感じてきた11年間の”改革”と築き上げる人材開発

横浜DeNAベイスターズのチーム統括本部育成部に所属する桑原義行さん。

かつて横浜ベイスターズ(当時)の外野手として7年間プレーし、12年のDeNA1年目から球団職員としてセカンドキャリアをスタートさせた。

昨年12月3日に開催された「横浜スポーツビジネススクール」では講師として登壇し、球団が力を入れている人材育成について講義を行った。

今回は、桑原さんが引退後どんな仕事を行ってきたのかを2回に分けてお送りする。

(取材協力: 横浜DeNAベイスターズ、文:白石怜平)

かつてベイスターズの選手として、7年間プレー

現在チーム統括本部育成部に所属し、部長 兼 育成ディレクターとして活躍している桑原さん。野球ファンにとっては馴染みのある名前でもある。

そのはず、桑原さんは前身の横浜ベイスターズで外野手としてプレーした元選手である。

日大豊山高3年の2000年には夏の甲子園に出場。日本大学に進学すると、3年春のリーグ戦では首位打者に輝き、4年時には全日本大学野球選手権大会で準優勝を果たし、日米大学野球の日本代表にも選ばれた。

04年のドラフト会議ではベイスターズから8巡目の指名を受けて入団し、11年まで7年間プレーした。

11年の現役引退後、球団が横浜DeNAベイスターズとなった12年から球団職員に転身。ベイスターズジュニアチームのコーチなどを経て現在に至っている。

社会人”ルーキー”の時から球団の改革を肌で感じた

12年、経営体制が一新され新たな船出となった。桑原さんは社⻑室兼地域貢献室へ配属となり、前年まで選手だった強みを活かして、ユニフォームを着た仕事が中心だった。

地域振興をメインに担当し、鈴木尚典・現1軍打撃コーチらと共に野球教室で神奈川県内を回る活動などを行っていた。当時はセカンドキャリア1年目、目の前の仕事に没頭しながらも、球団の”改革しよう”という姿勢を肌で感じ取っていた。

「当時の中畑清監督や高田繁GM、さらには池田社長といったDeNAから来た方たちが方向性を示してリードしてくださっていました。当初は『そんなこともやるんですか?』と言うようなこともありましたが、やるしかなかったくらい(笑)

ただ、そういう人たちの考えは、球界やビジネスで成功している方たちの考えなので、そのマインドを体感しながら自分でも吸収していきました」

チームの変化を感じながら駆け抜けたという(球団提供)

社会人として”ルーキー”だった桑原さん。当時のことを振り返りながら、今につながっていることを語ってくれた。

「最初の上司が壁谷(周介)さんなのですが、社会人としてのイロハを教えてくれました。当初は、野球連盟に送る文面など仕事を振ってくれるのですが、たたき台を作ったら赤ペン先生、真っ赤になって返ってくるんですよ(笑)。

本当にチェックが的確でしたので、それで見よう見まねで覚えていきましたね。いろいろ任せていただきましたし、非常に仕事を覚えやすかったです」

現在開催されている「第3回 横浜ビジネススクール」では初回の講義に壁谷さんと共に登壇し、講師を務めた。現在も同じチームに所属しており、”師弟関係”は10年以上経った今でも続いている。

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