
「年齢を重ねてもアクティブな世の中に」鈴木啓太が描いた世界とAuB設立のルーツ
サッカー元日本代表、浦和レッズで活躍した鈴木啓太氏は現在、「AuB株式会社」の代表として腸内環境の研究や情報発信などを行い活動の幅を広げている。
自身が幼少時から教えを受け、現役時代の経験で培ってきた「腸内環境の重要性」。これが今の活動の根幹となっている。
今回、鈴木氏がなぜ腸内環境の重要性を感じたのか、そして立ち上げたAuBをどのようにして成長させてきたのか。全4回の連載企画としてお送りする。
初回は、創業のルーツやさまざまな意見が届いたという1期目を迎えるまでのエピソードなどに迫った。
(取材協力 / 写真提供:AuB株式会社 ※以降、敬称略)
現役時代の経験から強く感じた「腸内環境の大切さ」
鈴木は幼少期から現役時代の経験を通じ、
「腸内環境とコンディショニングには密接な関係がある」
「腸内環境を整えることはアスリートのパフォーマンスを上げることにつながる」
という考えを持ち、その想いや経験を多く方に共有したいという構想を持っていた。それはなぜか。鈴木は幼少期、母親から「人間で一番大事なのは腸」と教えを受けてきたことにある。
以降、腸内環境について誰よりも意識を持つようになる。サッカー選手になってからも海外遠征時には緑茶と梅干を必ず持参するなど、腸のケアを怠ることはなかった。
腸内環境の大切さを強く体感したのはドバイで行われた2004年のアテネ五輪・サッカーアジア予選。代表選手全23名中18名が下痢に見舞われ、試合直前までトイレにこもる事態となった。
そんな中でも鈴木は影響を全く受けず、普段通りのコンディションで試合に臨むことができた。この体験から腸を整えることの大切さをより実感でき、のちのAuB設立における現体験となった。

アスリートの持つデータの”銀行”に
社名の”AuB”、これは「Athlete μ(マイクロ)biome Bank」の略である。
アスリートの腸内細菌データの受け入れ先=”銀行”となる。そんな想いが込められている。
AuB社の設立は2015年10月。鈴木の現役最終年の終盤である。元々はこの年の6月に話が持ち上がった。上述の自身の経験を基に、「アスリートだけでなく一般の方々にも役立てるのでは」と考え、実現したいという想いが日に日に強くなっていった。
鈴木は知り合いのトレーナーを通じて、便の研究をしている腸の専門家を紹介してもらった。ここで話が急速に進んだという。
「3人で会話していたのですが、『アスリートの腸内環境は特有かもしれないので、調べたら面白いのではないですか?』と話していたらどんどん盛り上がっていきましたね」

アスリートの腸内細菌を研究するのが面白いと思った背景として「糞便移植」に目を付けたことにある。「糞便移植」とは、病気・疾患を持つ患者さんに対し、健康的な腸内細菌を移植する治療法である。
鈴木はアスリートの若い時の便は「選手にとっても体の状態が良い時である」そんな仮説を立てた。若い時に取得し、現役の時にコンディションが不調になったり、加齢とともに腸内細菌のバランスが悪くなってきたときに、既に取得したものを再度移植し直せばいいのではないかと考えたのだ。
「糞便移植をする場合は、他人の腸内細菌よりも自身の(腸内細菌の)方が定着しやすいだろうと。そこで、アスリートの若い時の便は体の状態がいいと考えられるので、うまく活用したら面白いのではないかと思いました。
そんな発想もあって『アスリートの腸内細菌の銀行みたいの作れたらいいよね』という話になり、アスリートの腸内細菌のデータバンク→AuBとなったんですよ」
面談した翌週には会社を設立する準備に早速着手。10月に正式にAuBが立ち上がり、鈴木は翌16年の1月に代表取締役に就任した。
設立当初のメンバーは5人。ヘルスケアの領域に精通している方や腸内細菌の研究をしてる方など、鈴木が築き上げた人脈を駆使してアサインし、第1期が本格的に始まった。
人、そして社会もコンディショニングする
AuBは「人も社会もコンディショニングする」という考えを持って企業活動を行っている。鈴木が事業を興すにあたり、原点があると語った。
「自分の中の原点は、『いくつになっても元気にスタジアムへ通ってほしい』ことです。いつまでも夢に向かって自分の好きなことができるって素晴らしいことだと思うんですよ」
この原点は、浦和レッズでプレーしていた13年頃に遡る。当時クラブの観客動員数が減少傾向にあり、サポーターの方々に、「スタジアムへ観戦に来てください」と呼びかけていた。その時に受けたサポーターからの言葉からだった。
「あるサポーターさんから、『Jリーグが始まって20年、当時40代だったのが今や60代。スタジアムまでの道のりも、厳しくなってきたんだよ』と仰っていたんです。確かに両親も、『最近疲れるんだよね』と引退間際の時に言っていたので、みんな年齢を重ねて行動範囲が狭くなっているんだなと」

ー年齢を重ねてもアクティブに活動できる世の中にー
そんな社会の実現が鈴木の想いをさらに動かした。
「健康である方、また仮に病気疾患を持っている方であったとしても、コンディションが良くなれば活動的になれると考えています。なので、全ての人をベストコンディションにしたい。
毎日そうなればベストですし、もしそうでなくても大事な時にベストコンディション近づけるように我々がお手伝いしていく。
それをどうやるかと言いますと、『人も社会もコンディショニングすること』を私たちは考えています。人だけじゃなくて社会全体を健康的にする。まちづくりなども含めて、我々の活動が社会の仕組みの中に貢献していく。そんな想いを会社として抱いています」
”自分は挑戦したい”その想いに懸けた
16年1月に引退会見を終え、「AuB 鈴木啓太」として本格的に第一歩を踏み出した。しかし、最初は逆風からのスタートだった。
SNSやインターネットでの否定的な意見、そして周囲からも反対の声があったという。
「最初は『そんなところに手を出さないほうがいい』『騙されているんじゃないか』などと言われたり、まぁすごかったですね(苦笑)
始めてから『皆さんそういうことで言っていたんだろうな』と僕も腑に落ちてはいくのですが、それよりも”自分は挑戦したい”という想いの方が強かった。『やってみなければわからない』と。ただ、今振り返れば皆さんの方が全うな意見・評価だったのかなと思いますね」
現在は33競技750人以上のトップアスリートから検体を集め、合計1700検体以上にのぼるなど、世界でも類を見ない企業として評価を高めている。
意外にも感じた「皆さんの方が全うな意見だった」という言葉。その真意をさらに聞いた。
「だってめちゃくちゃ大変ですもん(笑)0から創り上げていきますし、心配してくださるという意味でも的確だったなと。ただ、今でも思ってるのは『僕は僕のやりたいことをやってる』ということです。
やはり腸内環境の大切さを皆さんにも知っていただきたいですし、発信することが僕の役目だと思っています。なので、僕は懸けただけなんです」

”出る杭は打たれる”
大きな挑戦をするにおいて、もはや宿命とも言えるこのフレーズ。本来は素晴らしいことで賞賛されるべきものであるが、そこには嫉妬や心配・固定観念などネガティブな感情がどうしても混ざり、矛先を向けられてしまう。
鈴木にとって、それはサッカーを始めた時にも同じ経験をしていた。冷静に分析を交えながら語った。
「僕は小中高とサッカー選手を目指してやっていましたが、大抵は『なれないよ』『どうせ無理だよ』などと”ドリームキラー”的に言うわけですよ。それでも”なりたい!”って思ったからこそサッカーを続けることができた。
その当時は僕も若かったので、『絶対見返してやる』という気持ちは持っていました。けれども、経験を重ねるにつれて周囲が言う意図も理解できるようになりましたし、だからこそ僕は負の感情ではなく、『理解いただけるように伝えていく』そう思っています」
さまざまな逆風を切り裂き、新たな挑戦が幕を開けた。
(つづく)