
「野球は外でするもんや!」元阪急ブレーブス 福本豊さん かつての”世界の盗塁王”の想いと身体障害者野球のルーツ
40年以上の歴史を持ち、全国へと広がっている「身体障害者野球」。
全国に38チームあり、競技人数も950人を超えている。毎年5月と11月に兵庫県で全国大会が行われ、今年9月には”もうひとつのWBC”でもある「世界身体障害者野球大会」が5年ぶりに開催される。
身体障害者野球を語る上で、欠かすことのできない人物がいる。
それは、元阪急ブレーブスの外野手でかつての”世界の盗塁王”・福本豊さん。
この野球の誕生は、福本豊さんがきっかけであった。昨年11月の「全国身体障害者野球選手権大会」に来賓として来た際、「日本身体障害者野球連盟」協力のもと、多忙の合間を縫って特別にインタビューを実施。
今回は、福本さんの社会貢献活動や身体障害者野球のルーツについて特集する。
(取材協力:オリックス野球クラブ 写真 / 文:白石怜平)
今も破られていない大記録・通算1065盗塁
福本さんは松下電器(現:パナソニック)から1968年ドラフト7位で阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)に入団。
主に1番・センターとして安打と盗塁を量産。72年にはNPB史上唯一のシーズン3桁盗塁となる106盗塁をマーク。当時のシーズン世界記録を更新しMVPを獲得した。
83年には、6月3日の対西武戦で9回に三盗を決め、当時故・ルー・ブロック選手(元カージナルス他)のメジャー記録を上回る通算939目の盗塁を決めた。
88年に現役を引退するまでに通算1065盗塁を記録し、シーズン記録とともにリッキー・ヘンダーソン選手(元アスレチックス他)に破られるまで世界記録を保持し、”世界の盗塁王”と称された。
また、打撃でも通算2543安打を放っており、2002年には野球殿堂入りを果たしている。
福本さんの”提案”をきっかけにチームが誕生
福本さんはその輝かしい実績だけでなく、社会福祉活動も積極的に行ってきた。阪急の選手はシーズンオフに、病院や医療施設などに訪問するのが”伝統”であった。
かつて神戸市西区にあった肢体不自由者医療施設「のじぎく園」には、阪急のルーキーが毎年訪問するのが恒例。
福本さんも1年目のオフ、同期入団の山田久志さんや加藤英司さんらとともに、同施設を訪れた。ここの生徒の一人であった故・岩崎廣司さんとの出会いが身体障害者野球誕生のきっかけとなった。
「僕は立ち上げの時からいてるんですけども、阪急での1年目の時からお付き合いがあってね。野球一緒にやろうという話になって『野球は外でするもんや!』って、”無理矢理”連れて行ったんですよ。そしたらそこからみんなハマってくれてね。『やっぱり野球面白いなぁ』・『やっぱり野球外でやるもんやね』ってなったんですよ」
岩崎さんは元々野球が大好きで長嶋茂雄さんの大ファン。福本さんとキャッチボールなどの交流を通じ、野球への想いが高まっていく。81年に身体障害者野球チーム「神戸コスモス」を立ち上げ、歴史が始まった。

伝統は後輩たちにも受け継がれる
福本さんが行ってきた社会福祉活動は、自身が現役の時だけでなく引退後も継続した。89年からオリックス・ブレーブスのコーチに就任してからも訪問を行っていた。
「僕もルーキーの時からのじぎく園などに連れて行ってもらったんですね。それから、僕は毎年入って来る新人を連れて行っていたんですよ」
現在オリックス・バファローズジュニアの監督を務める小川博文さんもその一人。
小川さんはオリックス・ブルーウェーブ時代、「がんばろうKOBE」の下、95年・96年のリーグ連覇そして日本一に貢献した名内野手。88年にプリンスホテルからドラフト2位で当時のオリックス・ブレーブスに入団し、最初の3年間は選手とコーチの関係であった。
小川さんも福本さんとともに訪問した当時のことを以前語ってくれていた。
「福本さんはすごく社会福祉活動を積極的に行っていました。僕が入ったときのバッティングコーチで、その時に施設へ連れて行っていただきました。実際に行くと、僕たち以上に頑張っている方々がたくさんいるんです。みなさん笑顔が絶えないんですよ。
僕自身もすごく感銘を受けまして、もちろん野球もですけれども、お互いに励まし・励ましてもらって両者が頑張る活力になる良い関係を築きあげていたんだなと感じました。
そういう先輩方の良いところを取り入れて、受け継いでいくのが伝統だと思いますし、良い伝統は続けていかなきゃいけないです」

福本さんも福祉活動を行い続ける意義を語ってくれた。
「みんなと交流することでね、『俺たちもがんばらなあかんな』ってね。身体障害者野球の選手たちが、野球の練習しながら頑張っている姿も見るとね、逆にハッパかけられますよ。元気をもらいます」
「いろんな人にこの野球を見てほしい」”世界の福本”の願い
81年に神戸コスモスが誕生以降、関西を中心にその輪は全国へと広がっていった。冒頭の通り競技人口は1000人に届こうとしている。
「最初はなかなかグラウンドを借りるのも大変やったでしょうし、それでも継続していって少しずつ認知度が広がっていったんだと思います。毎年レベルも上がってきて、立ち上げ当初から見ていて、みんな上手くなりましたよ。一緒にやってきて本当に良かったなと思います」
福本さんや岩崎さんたちの想いが、今も脈々と受け継がれている。コロナ禍であっても、各チーム・選手が状況に合わせて活動を続け、そして日本身体障害者野球連盟の懸命な努力もあり21年・22年と全国大会を開催することができた。
福本さんも、選手からかけられた言葉が心に響いたという。
「まさにみなさんの努力の賜物ですよ。身体障害者野球の大会や試合がある。そこに自分が出て野球ができる。だから頑張れる。選手たちから『野球ができるから、頑張れるんですよ』って言ってもらった時は心がグッときましたよ」

連盟に加盟するチームもまだまだ増えている。福本さんも連盟の名誉理事長として活動を見守っており、大会の際には会場に足を運び選手へエールを贈る。今後、身体障害者野球発展に向けて想いを語った。
「僕はいろんな人にこの野球を見てほしいって絶対思いますね。今年は世界大会もあるので、とにかく見に来てほしい。それだけです」
9月にバンテリンドームナゴヤで行われる、「第5回 世界身体障害者野球大会」。昨年末には日本代表選手も発表された。
1月29日には結団式が野球伝来の地である愛媛県松山市で行われる。今年は”もうひとつのWBC”からも決して目を離すことはできない。
【関連記事】
岡山桃太郎「第24回全日本身体障害者野球選手権大会」3連覇 全員野球で成し遂げた「春のリベンジ」