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「おかえり!ノムさん 大阪球場に。」遺志を継いだ愛弟子の長年の想い、そして不世出の名捕手が44年越しに帰還するまで 

クラウドファンディングで目標金額の2倍以上に

プロジェクトでは、ギャラリー改装や式典の開催に向けた費用などをクラウドファンディングで募る形式を採用。リニューアルオープンは野村さんの一周忌のタイミングになる2月中旬に設定した。

今回もファンの方たちとともに野村さんを盛大に迎え入れるため、20年11月の正式発表まで半年以上かけて議論と準備を重ねた。

矢野さんはオープンまでの過程をこう話した。

「1年以上の長い時間をかけてプロジェクトをつくりあげていきました。11月の発表がゴールではなく、ご支援いただくファンの皆様の声にしっかりお応えしていきたい。どういう形でお返しをしていくのがいいのかを日々会議重ねながら決めていきましたね」

目標金額は当初2,000万円だったが、始まると瞬く間に支援の輪が広がっていった。「支援金が集まっていくところやファンの皆さんの声を間近で見ていた」という矢野さん。

返礼品は復刻ユニフォームや鷹マーク&”月見草”名言入りのバットなど16種類のラインナップから、さらに野村さんの名言入り湯呑やTシャツなど最大24種類にまで拡充させていった。

返礼品として用意された名言入りバットやサインボール(提供:南海電鉄)

目標金額は期間の半分ほどで2,000万円に到達した。その段階でネクストゴールとして、当初予定した用途からさらに進化させたものが発表された。

「初めは映像作品を新たに1本制作の予定だったのですが、3本追加できることになりました。あとは、外装には半透明の写真を施しました。例えば(59年に初めて巨人を倒し日本一となった)”涙の御堂筋パレード”など、外観からも南海ホークスの歴史を感じられるようにアップデートしました」

最終的に集まった金額は約4,300万円。当初目標の2倍以上かつネクストゴールも達成した。

現在のメモリアルギャラリーの外観

21年2月14日、44年ぶりに難波の地へ帰還

そして21年2月14日、難波に野村さんが帰ってきた。

この日南海ホークスメモリアルギャラリーがリニューアルオープンし、「おかえり!ノムさん 大阪球場に。」と銘打ったプロジェクトを飾るセレモニーが行われた。

江本さん、そして野村克也さんの孫の忠克さんが始球式でバッテリーを組み、新たな門出を祝った。多くの南海ホークスファンも駆けつけ、チームカラーだった緑の法被や球団旗を掲げている光景も見られた。

クラウドファンディングが始まってからも、支援サイトには多くのファンから応援のメッセージやホークスの思い出などが書き込まれていた。そして、実際にオープンしてからも喜びの声が電鉄本社に多く寄せられたという。

オープン時に展示された野村さんが活躍した証の数々(提供:南海電鉄)

南海電鉄グレーターなんば創造部 廣田真由さんは、オープン後の反響について語ってくれた。

「皆さんから、『本当に待ち侘びていました!』という声が一番大きかったです。当時もコロナ禍で様々な判断が難しい時期ではありましたが、『絶対に行きます!』という熱いお声もいただきました。

あとはこのリニューアルに合わせてなんば駅でも、館内で流してるPR動画を放映したのですが、『南海ホークスの応援歌が流れてる!』などと驚きと懐かしさが蘇ったというオールドファンもいらっしゃいました。

また、ご家族で一緒に来ていただいたりとかして、私のようにリアルタイムで知らない世代が『こんな歴史があったんだ』などと興味深く展示を見ている様子を拝見し、心を動かされました」

野村さんの帰還からもうすぐ3年になろうとしているが、今も展示品の中身は入れ替わり、何度足を運んでも決して飽きることはない。

やはり野村さんが映えるユニフォームは緑、そして大阪球場が一番似合っている。

(おわり)

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