• HOME
  • 記事一覧
  • 野球
  • 飯田哲也 × 緒方耕一 セ界のスピードスターがそれぞれ語るID野球と常勝軍団の”盗塁事情”

飯田哲也 × 緒方耕一 セ界のスピードスターがそれぞれ語るID野球と常勝軍団の”盗塁事情”

4月20日、東京都内で「日本プロ野球OBクラブ ~MEMORY COLLECTION~」が開催された。その足で90年代のプロ野球を沸かせた同級生の2人が、現役当時の裏話や“盗塁”について語った。

(写真 / 文:白石怜平)

同じ1968年生まれの盗塁王コンビがゲストに

昨年末に西崎幸広さんと田中幸雄さんによる「ファイターズ・レジェンズ」以来の開催となった本イベント。

今回は飯田哲也さんと緒方耕一さんの“セ界の韋駄天”がゲストとして登壇した。

同じ球団の先輩・後輩同士で行われてきたこれまでとは趣向を変え、球団の垣根を超えた“戦友”の対談。共に1968年生まれの同級生で、かつ86年ドラフト同期入団という組み合わせとなった。

“セ界”でダイヤモンドを賑わせた韋駄天コンビが語り合った

プロ入り後お互いファームで過ごしていた時から交流があった2人。トークが始まるともちろん盗塁の話題が中心となった。

飯田さんは92年に、緒方さんは90年と93年にそれぞれ盗塁王を獲得している。特に90年は飯田さんが29個と、トップの緒方さんが33個と直接タイトルを争っていた。

MCを務めたプロ野球OBクラブの星俊さんから「お互い意識していましたか?」と問われると、飯田さんは「しましたよ」と即答した。

「だって獲りたいじゃないですか?なので毎日欠かさず新聞を見ていました。僕が盗塁すると緒方も決めてて『えー…』って(笑)」

一方で緒方さんは「てっちゃん意識してたの?」と聞きつつ、飯田さんとは違った心境だったという。

「僕らが現役の時ってスワローズとジャイアンツはどっちが優勝するのか時代でしたので、チームとしての意識はあったけれども、僕はライバルというより友達として見ていました。あとはドバ(土橋勝征さん)とかね」

90年に盗塁王争いしていた当時の話題に

盗塁から広がる現役時代のエピソード

ここから盗塁に関する話題がどんどん深掘りされていく。

2人が走るにおいて重視するのはどんなポイントだったのか。飯田さんはID野球の体現者の一人であることが伺える回答になった。

「僕は配球です。打者の配球、僕だったら荒井(幸雄)さんや古田(敦也)さんの時に、『このカウントだったら変化球が多いな』などと見ていました。なので、配球はたくさん勉強しました」

緒方さんは基本を答え、思わず飯田さんも同意するシーンも見られた。

「僕はスタートを練習しました。スタート良かったら進みもいいよね?(飯田さん:スタートが良かったら動きが軽くなる)力みもなくなるんです。

スタートが悪いと取り返そうとして力んじゃって手も足も動かなくなる。ですので、毎日試合前練習から必ずスタートの練習を集中してやってましたよ」

盗塁王経験者の考え方をここで聞くことができた

続けて2人は当時のチーム状況について触れながら、プレーしていた時のエピソードを披露した。

「僕は野村(克也)監督の下でやっていたので、勝手に走ると怒られます(笑)。いつでも走っていいとは言われていたのですが、状況を考えて『なぜ走ったのか』の根拠がないといけなかったですね」

なぜ走るのか、根拠を見出しながら次の塁を狙っていた

また、緒方さんは勝利を義務付けられている巨人ならではのプレッシャーを感じながら、リードオフマンを務めていたという。

「チームとしても制約がありました。僕らはまずプレイボールで1番打者が打席に入ると、ファーストストライクを打ってはいけなかった。少しでも次の打者やベンチに情報を与える役割だからです。

そしたら達川(光男)さんからは『緒方ありがとう!ど真ん中行くぞ。いいだろう?』って言われながら見送っていました(笑)」

そして初回に塁に出ると、もうひとつあるとしてこう続けた。

「次は世界記録保持者の川相(昌弘)さんなので、必ずバントです。ツーストライクまで行くと走ってもいいとなりますが、そこまでは待てない。僕らが走る時は、1アウトか2アウトの時でした」

巨人では勝利のためのプレーを常に求められていた

飯田さんはヤクルト時代、自身が塁に出た際は首脳陣と以下のように話していたと語る。

「僕らの時は、『飯田この投手走れるか?』って聞かれるんですよ。なので、癖があったりモーションが大きかったら行きましょうと。

なので、予め行ける投手・行けない投手を伝えていて、行ける投手だったら極力早いカウントでスタートして、行けない投手はバントでしたね」

星さんとアシスタントMCの本田そらさんが囲んで進行した

コーチ時代には韋駄天の後継者を育成

2人はコーチを長年務めたこともあり、中盤からは指導者の話題に。コーチ時代に印象に残っている選手とのエピソードをそれぞれ明かしてくれた。

飯田さんは、ヤクルト時代に同じ盗塁王のタイトルへ導いたあの選手について話した。

「僕がコーチをやっていた時に福地(寿樹)が2回盗塁王を獲っています。彼は人的補償で西武から来て、それまでずっとサブの選手だったんですよ。ヤクルトに来てレギュラーを掴んだ。

足がものすごく速いので、絶対盗塁王にさせたいと思っていました。ランナー一塁でヒッティングのサインが出たら『とにかくゴロを打って一塁に残れ』と伝えて。

僕が相手投手の癖や配球を把握しながら色々なことを教えて、『このカウントでは変化球だから走れ」という指示は出していました」

自身と同じ、ヤクルトからの盗塁王輩出に大きく貢献した

そして緒方さんは巨人でのコーチ時代、チームに欠かせなかった“代走の切り札”の復活を後押ししていた。

「僕はよく(鈴木)尚広のことを話す機会がこれまでもありました。『足にスランプはない』と言われることがありますが、そんな事は決して無いんです。走れない時期や体が重い日もあります。

実は尚広が一時期走れなくなった時期があったんです。(盗塁の)サインが出てもスタートが切れない。でも足は速いわけですよ。

スタートさえ切れれば何とかなるというのがあったので、尚広に盗塁のサインが出た時は『尚広、スチールと思わず全部エンドランだと思って走りな』と言ったんです。

少々スタートが遅くても、速いからセーフになるんです。そこから彼は調子が戻ってきましたね」

鈴木尚広さんに走る勇気を取り戻させた

2人が語った新たな活躍の場

約1時間のトークは瞬く間に終了。現在は共に野球解説者や評論家として活動しながら、新たなフィールドへ活躍の場を広げている。

今後の展望について2人から語られた。

「今はメジャーで日本人選手が活躍して、野球への注目がまた集まってくれていますが、まだまだ野球人口が少ないと感じています。

それで僕は“指導者を教える活動をしていきたい。指導者のレベルが上がることで子どもたち、やがてプロのレベルも上がってくると考えています。

小学校を見ていても子どもたちの親がコーチをしてるので、子どもたちの力を伸ばすためにも指導者のレベルを上げる活動をしていきたいです」(飯田さん)

「僕はSNSを通じて発信をやっています!Instagramもやってますのでぜひ見てください。あと、ずっとやろうと思っていたYouTubeをついに始めます(※4月24日に開始)のでチャンネル登録してください(笑)」

その後はサイン会を開催。現役時代から30年以上応援し続けているファンから思い出の品々や、OB戦でのグッズやユニフォームを提示され、懐かそうな表情を見せた。

サイン会ではファンと直接交流した

全員が笑顔で会場を後にしたMEMORY COLLECTION。今回もOBの輝かしい栄光からこの先まで、築いた歴史と未来がつながる場となった。

(おわり)

【関連記事】
「ファイターズ・レジェンズ」西崎幸広×田中幸雄 東京時代の歴史を彩った2人が語り継ぐエピソードの数々とは?

プロ野球OBクラブ「 ~MEMORY COLLECTION~」2年ぶりに復活!2人の”ミスター・ロッテ”より披露された今昔物語

関連記事一覧