
「俺たちはやったんや!」元オリックス・小川博文さん ”がんばろうKOBE”の下、「神戸の皆さんと一緒に戦った」リーグ連覇と日本一
オリックス・横浜(現:DeNA)でプレーし、現在はバファローズジュニアの監督を務める小川博文さん。
95年に阪神・淡路大震災を経験し、命の危機すらもあった。野球どころではない状況から這い上がり、神戸市民に希望を与えた伝説のドラマには小川さんの存在も欠かすことはできない。
本編ではリーグ連覇した2年間を振り返る。
(取材協力:オリックス野球クラブ 文:白石怜平 ※写真は2022年撮影)
「神戸の街を元気にする」有言実行でリーグ優勝
95年シーズンが開幕。まだ公共交通機関も満足に動かない中、オープニングゲームには3万人を超えるファンが声援を送った。神戸市民がブルーウェーブナインに想いを託し、グラウンドでの躍動は市民の生きる活力へとなった。
「まだ2ヶ月ぐらいしか経ってない時で、野球観に来るどころじゃなかったと思います。その中で僕たちはプロとして、野球人としてやはりプレーで皆さんを元気付けるんだと。ただ、逆にお客さんがあれだけ来てくれたというのは僕らが力をいただきましたよね」
ユニフォームの袖に記された ”がんばろうKOBE”。ナインの奮闘とともに、このフレーズは自然と日本全国へと浸透していった。
「想いをユニフォームの袖につけて戦う。やっぱり僕らだけではなくて市民のみなさん、被災されてる方々全ての人と一緒になって戦うんだと。
僕らのプレーで皆さんを勇気づけるんだという気持ちでやっていたので、しんどい時にね袖を見ると『こんなことでへこたれちゃダメなんだ』って思いました。僕らの後ろには皆さんが居る。
僕らは大好きな野球をやらせてもらっているわけですから。負けたらダメなんだと背中を押してもらう感覚でしたよ」

チームは序盤は西武を追いかけていたが、6月には月間19勝を挙げるなどで首位に立つと一気に独走体勢へと入った。前年に彗星の如く現れ、史上初のシーズン200安打を放ったイチロー選手が打撃タイトルをほぼ総なめの打棒を見せ、若きスーパースターが象徴としてチームを牽引した。
その後順調にマジックを点灯させ、9月13日の近鉄戦で勝利しついに王手をかけた。翌日から本拠地神戸で4試合続いたことから、誰もが神戸で歓喜の瞬間が決まることを信じて疑わなかった。
しかし、ここでまさかの4連敗。神戸での胴上げはお預けとなった。
「全員本当に気持ちが入っていましたから。絶対神戸で(優勝を)決めるんだと。球場に来てくださったファンの方もすごく悔しかったと思います。それでも皆さん拍手してくれたんですよね。神戸のみなさんの温かさを感じました」
それでも決して引きずることはなかった。9月19日、敵地西武球場での試合はエース・星野伸之投手が好投するなどで8−2で快勝。震災発生から245日、青波ナインが絶望から歓喜へと導いた。
「神戸の街を元気にするんだと。皆さんに熱気に与え、明るくするためには僕らが良いプレーをして発信していかないといけない。そういう気持ちでいたんでね。街が大変な状況なので野球どころではなかった思いますが、球場に何度も足を運んでいただいて声援を送っていただいた。神戸の皆さんと一緒に戦ったシーズンでした」
小川さんはこの年、120試合に出場し打率.272。打順も1番以外全て打ち、内野も一塁以外のポジション全てを務めるなどまさにオールマイティーにフル回転した。ただ、小川さんとチームが語り継がれるドラマはここで終わりではなかった。
第4戦、1点差の9回に起死回生の一発