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プロ野球OBクラブ「 ~MEMORY COLLECTION~」早実の同級生コンビから明かされた大舞台での伝説の数々とは?

8月中旬、東京都内で「日本プロ野球OBクラブ ~MEMORY COLLECTION~」の最新回が行われた。

今回は荒木大輔さんと石井丈裕さんの早実コンビが“登板”。戦友そして親友でもある2人から高校時代やあの日本シリーズでの激闘など、ここでしか聞けないエピソードを多数披露された。

(文:白石怜平 / 写真提供:プロ野球OBクラブ)

高校そしてプロを沸かせた2人が登場

「MEMORY COLLECTION」はプロ野球OBクラブ注目のイベントで、トークショーに加えてサイン・写真撮影に参加ができる豪華企画。

これまで西村徳文さんと初芝清さんの「ミスター・ロッテ」や、西崎幸広さんと田中幸雄さんによる「ファイターズ・レジェンズ」など球団史を彩ってきたOBたちが、ファンとともに当時へとタイムスリップしてきた。

前回からはチームの垣根を越えた企画へと進化。飯田哲也さんと緒方耕一さんが登壇し、「セ界の韋駄天」をテーマに展開された。

そして今回は、荒木大輔さんと石井丈裕さんという早稲田実業高の同級生コンビが登場し、高校時代から日本シリーズまで広く深く迫る回となった。

まずは新企画の「○×」の札を挙げる形で2人に質問を寄せた。アシスタントの中西智代梨(元AKB48)さんがリードし、そのお互いの関係を深掘り。

中西智代梨さんによる「○×」コーナーから始まった

そして本題へ移ると高校時代の話題からスタートした。司会の星俊さんからは早実に入学したきっかけについて問われ、まず荒木さんが答えた。

「もともと小学生6年生(1976年)の時、高校野球で最初の憧れが原辰徳さんでした。なので東海大相模だなと。

その後PL学園が全国優勝して、あのユニフォームが格好よくていいなと思ったんですけども、(東京都出身で)大阪行くのは難しいなと思ったんです。

そんなことを考えていたら一つ上の兄が早実に行っていて、『WASEDA』のユニフォームを家に持って帰ってきたんです。それを見た時から早実で野球がしたいと思いましたね」

石井さんはかねてから掲げていた夢の舞台を見据えて選んだと語った。

「私の場合は甲子園が夢だったんですよ。そのために強い高校に行きたいと。私も東京出身で、当時から日大三あと桜美林などが強かった時代でしたが、やはり早稲田実業がナンバーワンだと思いました。

とにかく甲子園に出たいと考えた時、早実のユニフォームを見て憧れましたね」

「WASEDA」のユニフォームに憧れを持って門を叩いた

早実入学から即頭角を表し、日本中を席巻

そして1980年に入学すると、荒木さんはその名を全国に轟かせることになる。

一年生ながらベンチ入りを果たすと快投を見せ甲子園出場を果たすと、その後も快進撃を続け準優勝へと導いた。当時のターニングポイントを明かしてくれた。

「生活がガラッと変わったのは甲子園初戦の北陽高校戦ですね。あれに勝ってからです。大阪のあの激戦区を勝ち上がった高校ですよ。新聞でメンバーの打率を見たらすごかったんです。みんな3割台後半とかで。

さらにシートノックを見たら、高校生のシートノックじゃなかった。動きも機敏だし肩も強いし、“とんでもない”とか思ってたところに勝ったので、あの時に変わった気がしました」

転機になったのは甲子園初マウンドだった

この試合から決勝まで5試合全てで先発。うち4完封、決勝の横浜戦で失点するまで44回1/3連続無失点という記録を打ち立てた。この快進撃の中、マウンドで感じていた心境を語った。

「2回戦目あたりで『こうやって投げたら、アウトを重ねていけるんだな』というのを感じられたんです。

僕は150km/h近いようなストレートを投げるわけではなく、今で言うツーシームみたいな球だったので、コースを狙うのではなくアウトサイドから少し真ん中あたりに目がけて投げると自然に沈んでいくような軌道でした。

バッターは打てると思って振ってきてくれて結果打ち取れたので、その感覚が自分に降りてきてくれたイメージでした」

荒木さんが次々と全国屈指の強豪校たちを抑え込んでいく様子を、石井さんはスタンドから応援していた。当時の喜びは今も鮮明に残っているという。

「本当に嬉しかったのでとにかく興奮していました。応援も声枯らしてね。ずっと憧れていた場所だったので、1試合でも長く甲子園に居たい。そんな気持ちでしたよ。そしたらあれよあれよという間に決勝まで行きましたから」

伝説が生まれていったプロセスが明かされた

石井さんは当時のアマチュア最高峰の舞台に

2人が在籍した期間、早実は春夏合わせた5期全てで甲子園に出場。後に桑田真澄・清原和博の“KKコンビ”らを擁するPL学園も続くが、この時の早実が戦後初という快挙だった。

当時の“大ちゃんフィーバー”にまつわる秘話も明かされるなどトークは進み、続いては卒業後の話へ。

荒木さんは高校卒業後の83年にプロ入りした一方で、石井さんは法政大からプリンスホテルへと進むにつれて実力を磨いていった。

88年にはソウル五輪日本代表に選出され、投手では野茂英雄さんらに加えて西武でもプレーする渡辺智男さんや潮崎哲也さん、打者では古田敦也さんや野村謙二郎さんなど、後にプロでも活躍する面々が多く名を連ねていた。

五輪の舞台に立ったその時から、自らをプレッシャーで奮い立たせていた。

「日の丸の国旗を見ながら国歌が流れている時、『日本を代表するチームとして来たんだな』という気持ちになったので、すごく身震いしました。『恥ずかしいピッチングはできないな』というのはありましたね」

日の丸の重みと責任を感じて臨んだ五輪だった

その中で石井さんは、背番号「18」を背負い、野茂さん・潮崎さんと共にローテーションの一角としてフル回転した。

予選リーグ初戦・準決勝そして決勝と3試合に先発し、2試合目もリリーフで5イニング投げるなど5試合のうち4試合に登板。決勝ではアメリカに敗れたものの、堂々の銀メダル獲得の原動力となった。

その時の話を振られた際、決勝で先発として投げ合ったあの“伝説の隻腕投手”が印象深かったと語った。

「(後にMLB通算87勝を挙げる)ジム・アボットは本当にすごかったですね。左から投げられる右バッターへのスライダーがみんな詰まらされて、ことごとく抑えられましたから」

石井さんが球史に残る激闘の主役に

荒木さんのヤクルト入団から6年、石井さんが89年に西武へ入団。同じユニフォームを着て甲子園の舞台にも立った2人は、今も語り継がれる伝説の戦いでライバルとして対することになる。

それが、92年・93年と激闘を繰り広げたヤクルトと西武の日本シリーズ。この舞台の幕が開ける前にも、それぞれにストーリーがあった。

石井さんは、92年15勝3敗3S、防御率1.94の成績でリーグ3連覇に貢献。最高勝率のタイトルに加え、シーズンMVPそして沢村賞というプロ野球選手として栄誉ある賞を数々受賞するシーズンだった。

一方で荒木さんは故障に苦しみ、2度の右肘側副靭帯再建手術(トミー・ジョン手術)や椎間板ヘルニアの手術を受けるなど、4年近く一軍からは遠ざかっていた。

それでも92年に1541日ぶりの一軍登板を果たすと88年以来の勝利も挙げ、ヤクルト14年ぶり優勝の最後のピースとなった。

そんな中で迎えた野球人として最高の舞台。直接投げ合うことはなかったが、第2戦と第6戦に先発した荒木さんは当時の喜びを思い出すように話した。

「復帰してからずっと一軍に居ることができて、楽しさしかなかったです。それで日本シリーズを迎えましたが、相手は常勝西武ですよ。あのメンバーと戦えたのが本当に嬉しかったです」

マウンドに立てる喜びを誰よりも感じていた

この92年日本シリーズの主役も石井さんだった。第3戦と第7戦に先発していずれも完投勝利。特に第7戦では延長10回を一人で投げ抜いて日本一を決め、シーズンに続いて日本シリーズでもMVPさらには正力松太郎賞にも輝いた。

「第7戦の終盤ピンチの時に、森(祗晶)監督がマウンドに来た時がありました。その時私に『任せた』って言ってくれたんですよ。普段そんなこと言わない監督なので、とにかくやらなきゃダメだと思い、力が湧きましたね」

野球人として頂点に立った年だった

93年のリベンジマッチは荒木さんが“開幕投手”に

93年も日本シリーズで同じ顔合わせになるが、荒木さんはキャンプインの時点でチームの変化を感じ取っていた。

「前の年に日本シリーズに出させてもらって、あの強いライオンズと最後まで戦えたことでチーム全体としてすごく自信がついていました。なので、キャンプインの初日から全員が『日本シリーズでライオンズに勝つためのスタート』だという意識を持っていました」

抱いた自信そのままにヤクルトはリーグ連覇を果たし、西武もリーグ4連覇で再び相対することに。荒木さんはシーズンで8勝を挙げ優勝に貢献すると、日本シリーズでは“開幕投手”の大役を担った。

先発を言い渡された時の話がここで披露された。

「今でもはっきり覚えているのですが、野村(克也)監督に直接言われました。神宮の室内練習場のブルペンだったんですけど、『監督は本気で考えてるのかな?』と思いましたよ(笑)。

何せ、当時は岡林(洋一)や西村(龍次)といったエース格がいたので。その中で開幕って言われましたから」

指揮官からの“通達”に会場も沸いた

荒木さんはその初戦、西武打線を翻弄し見事勝利投手に。そしてチームは第7戦までもつれた激闘を制して初優勝以来の日本一に輝いた。

トークショーは1時間を超え、それでも足りないくらいの話で盛り上がりを見せた。その後は参加者へのサイン・写真撮影会を行い、熱気冷めやらぬまま終了。

高校そしてプロ野球史の両方を彩った同級生コンビは、当時の勇姿を知るファンにまた新たな思い出を刻んだ。

(おわり)

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