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「苦労して創り上げてきたものが幹になり広がった」中日・和田一浩 新打撃コーチ 今も続く打撃への探究心と自身のフォームの変遷(前編)

来シーズンより中日の1軍打撃コーチに就任する和田一浩氏。15年に引退してから約7年間は解説や少年野球の指導、そしてプロ野球OBクラブの一員としてさまざまな角度から野球に携わってきた。

和田氏にはプロ野球OBクラブ協力の元、YouTube撮影時にインタビューの機会をいただいていた。

今回は来年から指導する打撃について、そして試行錯誤をした自身の打撃フォームについて和田氏のお話をお届けする。前編では西武時代をクローズアップする。

(取材協力: 日本プロ野球OBクラブ、写真 / 文:白石怜平、以降敬称略)

両リーグで1000本安打もマークした球史に残る大打者

和田は96年ドラフト4位で神戸製鋼から入団。30歳を迎える02年に伊原春樹監督の構想で捕手から外野手(左翼手)へコンバートして以降、レギュラーに定着。

この年は左翼とDHを務め打率.319・本塁打33本・打点81と大きく飛躍し、チームのリーグ優勝に貢献した。

以降も中軸を担い、05年には初タイトルとなる首位打者と最多安打を獲得した。07年オフにFAで中日に移籍してからも期待通りの活躍を見せ、落合監督が率いた黄金時代でもクリーンアップを務めた。

特に10年には打率.339・本塁打37本・打点93と、38歳にして打率・本塁打はキャリアハイの成績でリーグMVPを獲得。42歳のシーズンとなった14年も規定打席未満(356打席)ながら、打率.281・本塁打16本・打点65をマークするなど、その打棒は40歳を過ぎても健在だった。

鋭いライナーを広角に打ち分け長打も量産した

15年に史上最年長の42歳11か月で2000本安打を達成し、惜しまれつつ現役を引退した。

特筆すべき点は数多くあるが、和田が長く務めた打順は5番打者。西武時代はアレックス・カブレラ、中日移籍後もタイロン・ウッズやトニ・ブランコの後ろを打つという大役であった。

いずれも本塁打王を獲得するほどの強打者。ピンチで打席に回れば勝負を避けたくなる場面でも、和田がいることで相手バッテリーは勝負せざるを得なかった。

また、20代には一度も規定打席に達したことがなく、1000本安打も35歳(2007年)で達成するなどいわゆる”遅咲き”とされている。30代から一気に成績を伸ばし、かつ40代を迎えても衰えぬ技術で長く活躍を続けた選手であった。

通算打率は3割を超え(.303)、本塁打313本・打点1081。セ・パ両リーグそして2球団で1000安打以上を打つなど、球史に残る輝かしい実績を残した。

プロ野球OBクラブでの撮影の際は中根仁氏(元近鉄・横浜)と共に解説した

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