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元オリックス・小川博文さん 西宮で名将と過ごした原点の2年間「上田監督が僕を見てくださって抜擢してくれた、本当に感謝」

キャンプは遊撃コンバートからのスタート

小川さんの1年目のキャンプは2軍スタートだった。アマチュアの時は二塁手だったが、福良淳一さんが不動のレギュラーだったこともあり、入団後に遊撃手へコンバートとなった。最初は西宮第二球場で守備練習をみっちりやり、一軍もキャンプを張っていた高知へと移った。

高知に移った後は特に厳しかった記憶が今も鮮明に覚えているという。

「とにかく練習から何まで厳しかったですよ。球場も高知市営球場一箇所でナイター設備もないので、日が暮れて寒い中トボトボ野球バッグ担ぎながら歩いて帰った記憶があります(笑)それで帰ったらすぐ食事して、夜間練習。もう疲れて横になったらもう朝というような話ですよ」

当時の厳しかった練習も基礎となった

当時のコーチ陣もは厳しい姿勢を見せながら、小川さんが必死について行くところを見て一生懸命向き合ってくれたという。このキャンプでの1ヶ月がプロで生き抜くための原点になった。

「そういう経験を1ヶ月間して、厳しい練習があったから決して大きくない体でも、できたのかなとは思います。もう本当に心身ともに強くなりましたし、プロでやれる自信もついて来ました」

名将・上田利治監督からの言葉

そして鍛錬の積み重ねは巡り合わせを引き寄せた。キャンプ終盤、あの名将と交わったことが抜擢のきっかけとなった。

「一軍と同じ高知市営球場を使っていたので、僕ら8時半とかからグラウンドに入って一軍のアップ中にバッティング練習をするんですよ。僕が一箇所バッティングをしている時に、偶然上田(利治)監督が視察にいらっしゃって。その時ホームランとスリーベース打ったらすぐ『小川、明日から一軍な』と声をかけてもらったんです」

当時同じ高知県の安芸で一軍キャンプを行っていた阪神とのオープン戦に出場し、ここが一つのターニングポイントになった。

「バットを折りながらライト前にヒットを打ったんですよ。それでベンチに帰ってきたら、上田監督に『おめでとう!』と握手してくれて。そこから自分をスタメンとして使ってくれたんです」

上田監督からの短い一言が心に響いた

小川さんはルーキーながら開幕スタメンの座を勝ち取ると、遊撃のレギュラーに定着。最終的には114試合に出場した。

この年オリックスはブーマー・ウェルズ、松永浩美、石嶺和彦、藤井康雄らとともに、南海(この年からダイエー)から移籍した門田博光も加わる重量打線”ブルーサンダー打線”を形成。

黄金時代真っ只中の西武、前年の「10.19」であと一歩優勝に届かなかった近鉄と最後までデッドヒートを繰り広げたチームで存在感を放った。優勝した近鉄とは勝率1厘差の2位だった。シーズン終戦となった時に上田監督と直接やりとりがあったという。

「(全130試合中)129試合目で終わったんですよ。川崎球場でのロッテ戦に、ダブルヘッダーで連勝した翌日の試合。129試合目に負けて優勝がなくなったんです。

そのときに上田監督が引き上げるときにルーキーの僕に『小川、ご苦労さんやったな』と一言、バスの前で言ってくれたのを今も覚えています。ルーキーイヤーはアピールで必死でしたけども、上田監督が見てくださって抜擢してくれた、本当に感謝です」

2年目の1990年には125試合とさらに出場試合数を伸ばし、100安打・20盗塁をマークした。チームはこの年限りで本拠地西宮球場そしてブレーブスの名に別れを告げ、ブルーウェーブと改称。本拠地もグリーンスタジアム神戸(現:ほっともっとフィールド神戸)へと移転した。

プロ入りから最初の2年を過ごしたスタートの地。西宮での思い出は昭和のパ・リーグを連想させる今となっては味わい深いものになっている。

「西宮球場と第二球場は道路を挟んだ真ん中にあったのですが、ユニフォーム姿のまま自転車で移動するんですよ。西宮(メイン球場)で競輪やっていた時は露天というかおでんとか売店があって、耳にペン挟んだ人が並んだりしているところを横切りながら(笑)」

91年からは小川さんが今も愛する神戸へと主戦場を移した。

つづく

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