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元オリックス・小川博文さん 西宮で名将と過ごした原点の2年間「上田監督が僕を見てくださって抜擢してくれた、本当に感謝」

かつてオリックス・ブレーブスに入団しブルーウェーブでもプレーした小川博文さん。現在は、オリックス野球クラブ株式会社 コミュニティグループに所属し、オリックス・バファローズジュニアの監督を務めている。

阪急ブレーブスから球団が譲渡された最初のドラフトで入団し、オリックス1期生でもある小川さんは、プロ野球人生のほとんどをオリックスで過ごしてきた。

今回は小川さんに話を伺い、これまでの野球人生を振り返った。

(取材協力:オリックス野球クラブ 文:白石怜平 ※写真は2022年撮影)

社会人時代にソウル五輪へ出場し、その後”オリックス1期生”に

小川さんは高校時代、千葉・拓大紅陵でクリーンアップを担い3年春夏連続で甲子園に出場。春の準々決勝では清原和博・桑田真澄の”KKコンビ”を擁するPL学園とも対戦し、涙を飲んでいる。

卒業後は、当時社会人野球の強豪だったプリンスホテルへ入社した。翌年から指揮を執る石山健一監督自らが高校へと足を運ぶなど、熱心な誘いを受けた。

石山監督は入団時小川さんに、「4年後にプロへ行けるようにしよう。それはなぜか。4年後に(ソウル)オリンピックがある。そこに出てその年のドラフトでプロの行こうじゃないか」とアドバイスを送ったという。

入団後は周囲の期待に応える活躍を見せた。20歳で全日本に選ばれ、当初の目標の通りソウルオリンピック日本代表にも選出された。プリンスホテルからは後に西武に入団する石井丈裕さん、日本ハムに入団する中島輝士さんも選ばれ、共に日の丸を背負った。

アマチュア時代から振り返った

小川さんは、正二塁手として全試合にスタメン出場。決勝のアメリカ戦では、後にメジャーで87勝を挙げるジム・アボットから先制タイムリーを放つなど日本の銀メダル獲得に貢献。

この年のドラフトでオリックス・ブレーブス(現:バファローズ)から2位指名を受け、これも石山監督との話の通り目標を実現させた。

社会人野球の強豪チームで主力を張り、五輪で銀メダルに貢献した実力からすればプロ入りは当然と感じるが、小川さん本人は意外な形で指名の時を迎えていた。

「まさか自分がプロに指名されると思っていなかったので練習していたんです。イメージ的には記者会見場設けて待つってのもありますが僕はそうではなかった。普通に練習していたら寮に”指名されました”って電話がかかって来てそれで”ありがとうございます!”って言って決まりました(笑)」

なお、小川さんが指名を受けた88年のドラフト時は球団にとっても激動のタイミングだった。ドラフト当日は11月24日。その約1ヶ月前の10月19日には阪急ブレーブスがオリエント・リースへ球団を譲渡し、翌年からオリックス・ブレーブスになることが発表されていた。

オリックス1期生でもある小川さんのプロ野球選手としてのキャリアが始まった。

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