西武ライオンズ レジェンドトークショー「黄金期投手編」蘇る数々の栄光と当時は異例の合同自主トレとは?
3月16日、ベルーナドームで 『LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME2024』が行われた。
1979年にライオンズが所沢に移転してから昨年で45周年を迎え、その締めくくりとして西武ライオンズ初のOB戦が開催された。
球史に残る数々の栄光を残した選手たちが一堂に集結。試合に先立ち、レジェンドゲームトークショーが3つに分けて行われた。2組目は、黄金期を支えた投手陣5人がマイクの前に登場した。
(写真 / 文:白石怜平)
この日に向けて現役さながらの準備を重ねた工藤さん
トークショー2つ目は「黄金期投手陣編」。森繁和さん・鹿取義隆さん・工藤公康さん・渡辺久信さん・郭泰源さんの5人が集まった。
名前を聞くだけでも鳥肌が立つような面々に、MCの堀口文宏さん(あさりど)と春日俊彰さん(オードリー)も興奮を隠さなかった。
野手陣の時と同様に、堀口さんがこの日のために練習したかを問うと工藤さん・渡辺さんから手が挙がった。
どんな練習をしたかを問うと、工藤さんは「遠投もしてきましたし、トレーニングもやってます」と発言。歴代1位タイの実働29年を誇った左腕は現役時代と変わらぬストイックさを垣間見せた。
また、渡辺さんは現在球団のゼネラルマネージャー(GM)を務めている。南郷キャンプ時はチームに帯同しながら捕手を座らせ、ブルペンで選手たちが投げていた横で投球練習を重ねていた。
対戦したい選手を問われると、石毛宏典さんの名前を挙げた渡辺GM。どう打ち取りたいかについては、
「ストライクゾーンにとにかく投げて打ち損じを誘いたいと思います」と意気込んだ。
渡辺GMが明かす森繁和さんの素顔
トークショーでは、かつて電車内の中吊り広告として掲示されていたライオンズニュースを映しながら、輝かしい記録と記憶を振り返っている。
森さんは西武ライオンズ初のドラフト1位で、ルーキーイヤーから43試合に登板するなど実働9年で通算344試合に登板した。
先発・リリーフにフル回転し、83年には最優秀救援投手を獲得している。威圧感から放たれる力強い球で打者を制してきた投球スタイルに、渡辺GMも「オーラがありましたね」と語る。
そこに、「すごく優しい方なんです」と添え、選手・コーチとして共に黄金期を戦った先輩に尊敬の念を送った。
鹿取さんも活躍した試合の数々がLビジョンに映し出された。
その中の一つがプロ通算100Sを達成した時のシーン。当時は西武球場だったが、この地で達成した記録である。自身も鮮明に覚えているという。
試合に向けては、シャドーピッチングをしてイメージをつくってきたという鹿取さん。登板の際には誰と対戦したいかを問われると、「左バッターのが投げやすいです」と答えた。
そして黄金期の投手として欠かせない一人が郭泰源さん。
五輪の舞台でも活躍するなど、「オリエンタル・エクスプレス」の愛称を持つ郭さんは、ライオンズで通算117勝68敗、勝率は.632をマークした。
堀口さんが「ご無沙汰しております」と挨拶すると、球場全体からの大きな拍手で郭さんを包んだ。
この試合に向けてキャッチボールをして備えたという背番号18。ライオンズニュースでは来日1年目の85年6月4日の日本ハム戦で達成したノーヒットノーランの模様をピックアップし、ファンも久々のマウンド姿を心待ちにした。
若き左右のエースが合同自主トレ
そしてライオンズニュースで再び興味深いシーンが挙がった。
87年若かりし頃の渡辺さん・工藤さんの2人がポージングを決めている写真。なんと2人が伊豆で自主トレを行った時のものである。
左右のエースでありながらライバル、そして盟友でもある2人。合同自主トレは球団からの提案で実施された。
森さんも「当時としては異例だった」という合同自主トレ。自身も杉本正さんと行った経験があると明かした。
10分のトークショーはここでも一瞬にして時間が過ぎた。鹿取さんが代表して、
「投げるボールが届かなかったらごめんなさい(笑)でも、期待していてください」と最後に語りこの場を締めた。
そしてトークショーの最後は、西武ライオンズ創設期そして初優勝の原動力となったメンバーが満を持して登場する。
(つづく)
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