元読売巨人軍・鈴木尚広 20年の現役生活を支えたものとは?「準備」と「体軸トレーニング」に通じる”継続する力”
現在、鈴木尚広のベースボールクリニック(TSBBC)やYouTubeチャンネル、農業など活動の幅を広げている元読売巨人軍・鈴木尚広氏(以降、敬称略)
現役時代は巨人一筋20年で、“走塁のスペシャリスト“として活躍。
積み重ねた盗塁数は通算228。代走としての盗塁132は現在もプロ野球史上最多である。
巨人という名門チームで、20年もの間ユニフォームを着続けられた理由は何か。今回はその要因を伺った。
(取材協力 / 写真提供:一般社団法人TSBBC)
準備は唯一の支え
鈴木尚広を語る上で、”準備”という言葉を欠かすことはできない。現役時代、1日7時間かけ試合前に必ず準備を行なっていた。
18時開始のナイターであれば11時、14時開始のデーゲームであれば7時に球場入りする。スタッフよりも早い、チーム一番乗りである。
鈴木の役割は主に試合終盤の代走。出番は毎試合あるとは限らない。
仮に出場予定のイニングで大量点をとったり、交代する打者が凡退し攻撃終了となれば出場機会は消えてしまう。
その日あるかわからない一瞬の出番に向けて、誰よりも多くの時間を準備に注いできた。
なぜ、鈴木は準備が必要と考えるようになったのか。それは若手時代の挫折や先輩の姿勢を見たことがきっかけだった。
プロ6年目の2002年、当時就任1年目だった原辰徳監督に見出され1軍デビューを果たす。翌2003年には104試合に出場しチームトップの18盗塁(失敗1)を記録。しかし、その後数年は故障やチーム事情もあり出場試合数は減少する。
巨人は常に優勝を義務付けられたチームである。オフにはドラフトに加え、FA(フリーエージェント)や外国人選手などの大型補強がストーブリーグの話題となる。
そんな状況の中、「これ以上失敗できない」という不安や焦りがさらに失敗を招く悪循環に陥った。球場に行くのも憂鬱になり、野球を始めてから初めて怖さを覚えたという。
「崖っぷちに押される感じなんですよね、イメージとしては。そこで勝ち残ってきた人が賞賛される。大きな壁を乗り越えていくには強さが必要でした」
チームに必要とされ、期待に応えられるプレイヤーになりたい。このままではいけないと危機感を感じ、競争で勝ち残るために何が必要かを考え直した。
巨人で共にプレーした小久保裕紀選手や小笠原道大選手といった名だたる先輩方の姿勢を見ながら吸収し、そこで準備の重要性を肌で感じた。
「一流の選手は自分のルーティーンを崩さないです。参考にした先輩方は、自分のやるべきことを詳細に分析し、試合に向けてベストな状態に持っていくところを考えておられて、そこが自分に響きましたね」
体の状態と向き合いながら、自分なりに必要な要素を考えていく過程でルーティーンが確立。感覚に合わせて毎年変化を加えていった。
この姿勢を周囲が何も感じないはずがなかった。ある選手に「尚広さん見ていると僕がレギュラーで出ているのが申し訳ないです」と言われたという。
最も準備に時間を割いているのは鈴木だとチームの誰もが理解していた。
体軸トレーニングでケガしない身体に
鈴木にとって、”準備”の他に重要なキーワードがもう1つある。
「体軸トレーニング」
このトレーニングを始めたことで現役生活が10年延ばせたと話した。
2006年、この年から引退までパーソナルトレーナーを務める理学療法士の岩館正了(まさる)先生指導のもと、体軸トレーニングを導入した。
鈴木はこれまで肉離れや腰痛など故障を繰り返し、自らチャンスを逃してしまっていた。プロ10年目を迎え、新たな変化を求めていたタイミングで岩館先生と出会う。
体軸トレーニングとは、骨・関節を支えたり姿勢の維持に必要な筋肉である”インナーマッスル”を優位に働かせるトレーニングである。
アウターマッスル中心だった筋肉の質を変え、ケガをしない身体を作るために新たに取り入れた。
「面倒と思うことに我慢ができるんです」これが鈴木の強みの1つである。
体軸トレーニングは股関節を捻りながら前に歩くといった、各メニューは一見地味な内容である。それが15種類あり、鈴木は引退するまで約10年行っていた。当時をこう振り返る。
「最初は(体の)柔らかさがなかったのでずっと悶絶していました。毎日脳疲労ですよ(笑)。何が大変かって、筋肉の質を変えるのが一番大変でしたね」
体軸トレーニングは、筋肥大のような視覚的変化が見えにくく、長い時間をかけて体に覚え込ませるため、アスリートでも継続することが難しいトレーニングである。
オフは週3回、シーズン中も試合のない月曜日に岩館先生のもとに通い続けた。開始してからケガをしない体をつくり上げるまでに約5年要した。
成果は2011年ごろに出始める。その頃には身体の質が変わったと感じることができ、ケガする感覚がなくなったという。
「自分の準備をひたすらやるだけ」
“ファーストランナーは鈴木”
東京ドームでの試合終盤にその名がコールされると、球場の雰囲気はたとえ負けていても巨人の反撃ムードに一変する。
黒いストッキングを高く上げるクラシックスタイルに履きこなし、オレンジ色の手袋を両手はめた鈴木が小走りでベンチから1塁へ向かう。
アンツーカから両足が出るほどの大きなリードで相手投手へプレッシャーをかけ、盗塁でチャンスを広げる。打者がヒットを打てば快足で一気に3塁、そして本塁へと陥れる。
その足は巨人にとって攻撃の重要なピースであった。
登場するケースは失敗の許されない場面。仮に牽制や盗塁失敗でアウトになれば敗色濃厚の空気が漂い、東京ドームの4万人以上の大観衆から一斉にため息がこぼれる。さらに上述の通り、出番は試合の状況に常に左右される。
そんな極限状態の中、モチベーションをどのように保ってきたのか。考えは至ってシンプルだった。
「監督が決めることなので、自分で決めれないところは考えないです。確かに『ここじゃないか』と思って出なかった時は一瞬(気持ちが)下がる事はあります。ただ、それは余計な考えなので思う必要はないんです」
ー自分の準備をひたすらやるだけー
己の仕事に徹し、他は意識しないことでモチベーションをコントロールしていた。
準備は ”鈴木尚広そのもの”
現役時代に使用していたスパイクには「Be Ready」(準備はできている)という文字が刺繍されている。最後に鈴木にとって準備とは何かを問うた。
「”鈴木尚広そのもの“です。それしかないですね。いい結果を生むには準備をしていかないと手の届くものにならない。準備をすることで自分に言い訳をしないことにもつながってきますし、次への切り替えにもつながります」
1日7時間の準備、そして体軸トレーニングを何年も続けることは並大抵の精神力ではできない。継続の原動力になったのは”代走”というポジションだからであった。
「一瞬に懸けるので、自分のエネルギーをどう集約してやるかという発想でした。4打席になると(エネルギーを)分散させようと考えてしまいます。
代走という限られたチャンスの中で成果を出すというのも自分にとっての資質だったのかもしれません。僕にはそれがよかったのだと思います」
「準備」と「体軸トレーニング」
両者に共通するのは、同じ内容を日々欠かさずこなしてきた”継続力”。この小さな積み重ねが野球人・鈴木尚広をつくり上げた。
チームメートに「真似できないです」と言わしめたその地道さが、20年も間巨人軍のユニフォームを着ることを許されたのではないか。
(取材 / 文:白石怜平)