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いわきFC 大倉智代表「まちづくり・人づくりの一助に」地域との連携を深めた初年度の記録〜いわきFC 特別連載企画(第2回)〜

「ウチはいわきFCの未来に懸ける」地元紙も味方に

地域の課題と向き合い共感を得ていった結果、救世主が現れた。

現在もトップパートナーを務め、バスを提供している地元の「浜通り交通」が手を挙げた。

「初年度、地元紙の福島民友が反応して『ウチはいわきFCの未来に懸ける』とクラブで一番最初のスポンサー契約をしていただいた。それから発信をすごくしてくれたんですよ。ローカルの新聞がローカルチームの発信をするという理想の形ができました。

浜通り交通さんの永山剛清代表も『よし、やったる!』と言っていただきましたし、STARTSさんだったり、この辺の大きな企業様がリードしてくれて、かつ地元の方々に声をかけていただくこと少しずつ広がっていきました」

浜通り交通が制作したラッピングバス(©︎IWAKI FC)

発信を通じ、協力の輪が地域にどんどん広がっていきスポンサーが増えていった。最初の3年間はドーム社のサポートも必要だったが、4年目からサポートも減らし自力で運営できる経営基盤が整っていった。

初年度はサポーター0からのスタート

初年度の16年は年明けに選手が0だった状態から、大倉自らのスカウティングや1月下旬に実施したコンバインなどで22名の体制でスタートした。

経営陣が0からスポンサーを集め始めたのと同時に、サポーターも最初0人から始まった。それでも大倉をはじめ経営陣が地域との輪を広げ、さらに試合でも勝利を重ねることで、来場する方がどんどん増えていった。

「最初サポーター0人で誰もいなかった。『どうやってサポーターって増えるんだろうね』って田村(雄三:前監督、当時強化・スカウト本部長)と話してたらある日突然1人生まれ、2人生まれと試合をする度に増えて気づけば横断幕まで掲げていただけるようになりましたよ」

チームも初年度のチームとは思えないほどの快進撃を重ねる。5月には早くも全国クラブチームサッカー選手権福島県大会を制覇。全国クラブチームサッカー選手権に加えて10月2日に福島県社会人2部リーグを優勝し、早々と福島県1部へ昇格を決める。

最初は0人のスタートから、今は地元に欠かせない人気クラブへとなっている(©︎IWAKI FC)

1月20日にはいわきFCフィールドがオープンし、練習環境がさらに整備された。

翌17年も快調に勝ちを重ね、タイトルを獲得していく。4月天皇杯の福島県代表決定戦優勝し、6月には天皇杯2回戦でJ1の北海道コンサドーレ札幌にも勝利。全国クラブチームサッカー選手権も連覇。福島県社会人1部リーグも優勝し、東北社会人サッカー2部南リーグへと昇格した。

18年・19年も天皇杯出場とカテゴリ制覇を成し遂げ、20年に早くもJFLへと参戦した。特に19年・20年は大きなターニングポイントとなる2年間だったと語る。

「東北1部からJFLに上がった舞台がJヴィレッジだった。そこが運命だったと思います。秋田で予選を戦い、本戦がJヴィレッジだったので、福島に戻れたというのは偶然ではなく必然だったのかなと。

あと会社としては20年にJ3へ上がれなかったこと。原点に戻ろうとさせてくれた年でした。コロナ禍でも変わらず支援をいただいた皆さんの想いも含めて僕らの今の立ち位置を再確認した。『創設当時の夢って何だっけ?』ともう一度みんなで話し合った年でしたから」

再度原点に立ち返って臨んだ21年シーズン、ついにJFL優勝・J3昇格を果たしたのだ。

ただ、いわきFCは「Jリーグに昇格する」ことを目標に置いていない。それはなぜか。次回、独自の考え方やビジョンに迫っていく。

第3回へ続く

取材協力 / 写真提供:株式会社いわきスポーツクラブ

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