最後の”新日鉄釜石戦士”三浦健博 振り返るラグビー生活とシーウェイブスの魅力「純粋にラグビーをやっている。それは昔から変わらない」
衝撃的だったと語る”企業チームからクラブチーム化へ”
三浦はプロ生活ではロックが中心だったが入部当初はフランカーだった。入部5年目でようやくレギュラーを獲得した矢先のコンバートで「正直ショックでした」だったと語る。
ただ、移ったフランカーでは今年までHCを務めた桜庭吉彦がおり、一切妥協しない姿勢を間近で見ることができた。その影響が大きかったという。
「私は22歳でレギュラーを獲得しましたが、同期は1年目から出場していました。フォワードの層が厚く競争が厳しかったのですが、桜庭さんのような先輩方が近くにいて、『自分もそういうレベルならなきゃならない』奮い立たせてこれた。なので長く続けられたのかなと思います」
反骨心から5年かけてレギュラーを掴み、名門新日鉄釜石ラグビー部の主力として順調に選手としてステップアップを重ねた。
しかしそんな中、現役生活の中で震災と並び「衝撃的だった」と挙げる出来事に遭う。それは新日鉄釜石ラグビー部のクラブチーム化である。
運営元である新日本製鉄がスポーツ事業運営の見直し、スポンサーの立場から支援する形式に変更したのだ。これに伴い特定の企業がチームを持たないクラブチームとなり、本拠地の釜石市に密着した「釜石シーウェイブス」に生まれ変わった。
当時の心境を三浦はこう語る。
「企業チームから変わるという点で不安が強かったです。運営面もそうだし強化の部分でも。選手の間でも動揺がありましたから」
そして、現役でも最も印象深い試合に新日鉄釜石での最後の試合を挙げた。
「当時は東日本社会人リーグというのがありまして、サントリーや東芝とNEC、そして我々も所属しているチームでした。そこで最後に三菱重工に負けて降格が決まったんですよね。その数日後のクラブ化だったので自分の中では大きい試合だったのかなと思います」