
「真っ直ぐだけでもこれだけ抑えられた」埼玉武蔵ヒートベアーズ・由規 ヤクルト時代に自信を掴んだ地元での”全球ストレート”
BCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズから楽天モンキーズに移籍し、台湾リーグへ挑戦することになった由規投手コーチ兼投手。
仙台育英高校では夏の甲子園に出場し、当時から155km/hの剛速球で注目を浴びた。その後ヤクルトにドラフト1位で入団し早くから頭角を表すと、10年には当時日本最速の161km/hをマークし、本格派投手の代名詞となった。
しかし、翌年から長い怪我との闘いを余儀なくされてしまうことになる。手術・リハビリには5年を要し、その後神宮のマウンドに帰ってきた。
ロングインタビューにおいてはプロ入団当初から現在もプレーする独立リーグについても伺った。第5回は、プロ入り時から10年に開花した時のきっかけを紹介する。
(取材協力:埼玉武蔵ヒートベアーズ、取材 / 文:白石怜平 ※肩書きは当時・以降敬称略)
プロ2試合目の登板で初勝利
由規は仙台育英高3年だった07年、夏の甲子園で最速155km/hをマークし大きな注目を集めた。
同年の高校生ドラフトでは、中田翔(大阪桐蔭:現巨人)や唐川侑己(成田:現ロッテ)と共に「高校ビッグ3」と称されドラフトの目玉に。地元の楽天のほか、ヤクルト・横浜(現:DeNA)、中日、巨人の5球団競合の末、ヤクルトに入団した。
高卒ルーキーながらイースタン・リーグでは8勝で最多勝を獲得。8月30日の対横浜戦(横浜スタジアム)で、先発投手として一軍でデビューした。
2度目の先発となった9月6日の対巨人戦(神宮)では、6回3失点でプロ初勝利をマークするなど6試合に登板し2勝1敗・防御率4.55の成績だった。
「ファームで最多勝を獲れましたが、一軍に上がったときにレベルが全然違うと感じました。特にミスショットをしない。
一軍で初勝利した後の2試合目にKOされて、そこから勝つためにどうすればいいかっていうのは考えましたし、その年6試合投げて、最後の2試合でやっと一軍でやっていけるかもしれないという自信が出てきました」
「バッターではなく自分との勝負だった」プロ2年目
自信が芽生えた中迎えた2年目の09年、この年は開幕から一軍で先発ローテーションの一角を担った。しかし、ここでは思わぬ”敵”と戦うことになった。
「指の豆をつぶして登録抹消を何回も繰り返していたんです。09年はあの年でやっと1軍で勝負できる自信もついた中での登録抹消なので、09年はバッターと勝負できていなかったですね」

前半に5勝しオールスターにも選出されるも、ここでも豆を潰した影響で登板回避となってしまった。その影響で後半戦は1勝もできずシーズンを終えた。
「今振り返ると自分との勝負でした。『また力入れたら豆が潰れるんじゃないか』とセーブしながら投げた時や、『つぶしていいから飛ばしていくしかない』という状況もありましたから、最後まで一軍にはいましたけれども、満足いくシーズンではなかったです」
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