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「割り切り方はチームの中でトップクラスだったと思います」久保康友 プレッシャーに負けない思考力「野球は確率論と考えています」 〜阪神・DeNA時代編〜

3月からドイツ・野球ブンデスリーガの「ハンブルク・スティーラーズ」でプレーする久保康友投手。

昨シーズンはさわかみ関西独立リーグの「兵庫ブレイバーズ」でプレーし、若い選手とともに汗を流してきた。そのシーズン終盤に久保投手へ特別インタビューを実施し、日本の独立リーグを訊くとともにこれまでの軌跡についても伺った。

第1回のロッテ時代に続き、第2回は阪神そしてDeNA時代について特集する。

>ロッテ時代編はこちら

(取材協力:兵庫ブレイバーズ 文:白石怜平 ※以降、敬称略)

移籍後は「もう一度1年目で認めてもらうためアピール」

ロッテでは4年間在籍したのち、09年3月にトレードで阪神へ移籍した。

奈良県出身の久保にとって、地元である関西でプレーすることになった。そのワクワク感はあったそうだが、プロとして仕事で野球をする以上、また0からアピールするところからのスタートとなった。

「リーグも変わりましたし、使う側も新しくなるので監督・コーチの方々にはもう一度1年目で認めてもらうためのアピールをしなければいけないです。移籍をしてすぐ、自分というピッチャーをアピールするにはどうすればいいかをここでも考えました」

阪神に来て久保が行ったのは、首脳陣との会話であった。キャンプのブルペンで視察に来た際には練習内容の意図を説明するなど、自身を知ってもらうための積極的なコミュニケーションを重ねた。また、その中でも自分の色を出すことを欠かさなかった。

「僕は首脳陣の方たちに、『自分で練習をしてこうやります』と主張したんです。プロは結果を出してこそなので『やりやすいようにやってくれ』と、まずは自分のやり方で調整させてもらいました。もしそれでうまくいかなかったらタイガースのやり方でやればいいと言っていただきました」

移籍後、ルーキー時代同様にアピールから始まった

久保は結果を残すことでその主張の正しさを証明した。移籍1年目は年間通じて先発ローテーションを守り9勝をマーク。早くも古巣のロッテ戦で白星を挙げるなど史上最年少で全球団勝利を達成した。

そして翌10年にはキャリアハイの14勝5敗、勝率.737で最高勝率のタイトルを獲得した。11年も8勝、12年は108イニングながら初の防御率2点台(2.33)を記録する。リーグが変わりかつ常に高い注目を浴びる環境の中でパフォーマンスを発揮し続けた。

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